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執筆者の写真村山順子

「未見の我」

おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えの事と存じます。

実は今朝のメルマガに「未見の我」・まだ見ぬ自分について書かせて頂こうと思いました。

詩の作者の安積得也氏の“字”が分からずに、インターネットで検索。


すると、2011年の私のブログが出てきました。

書いた事は覚えていましたが、いつだったのか覚えていませんでした。

「未見の我」を調べただけで、1個人の昔のブログが出てくることにも驚きました。


そのブログをそのまま転載させて頂きますね。


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2011年6月28日


『毎朝、朝礼をしている。現社長に代わってから朝礼をキチンとした形で続けている。

さぁ、今日も一日、仕事が始まるぞ!という気持ちになれ、一体感が持てる朝礼だ。


その中で「職場の教養」と言う小冊子を全員で読み、感想を述べ合っている。

今日のテーマは「未見の我」という題で安積得也氏の有名な詩が書かれていた。


その一節に「自分には自分の知らない自分がある 強くして能あり 清くして正大なり 

現在の我とは比較にもならぬ 未来相の我だ」は、

誰もがその人固有の秘めた無限の可能性があると語っています・・・と、書かれていた。


そして、

「苦境の時こそ、かくれた新しい自己が目覚めるときと前向きに受け止めましょう。

もてる力を惜しみなく発揮して、新しい自分への脱皮を図りたいものです。」

 と結んでありました。


「未見の我」・・なんという希望に満ちた言葉でしょう!

まだ見ぬ我、まだまだ発見されてない自分がいる。  

今まで経験した事がないことに挑戦するときに

まだ見ぬ自分と出会う・・・


今、私は経験した事のないことに挑戦しようとしている。

そうか!未見の我を発見するチャンス!なのだ!


昨夜のある勉強会で、自分の心に無意識にパラダイム(“ある時代や分野において支配的な規範となる物の見方や、捉え方のことです”と辞書に載っています)が出来ていて、それが無意識に邪魔をして殻を破れない、新しいことに挑戦できない、まず、自分の心のパラダイムを打ち破ると、新しい事も軽やかにやってしまう事ができる・・・と、学んだところだった。


人生って、“未見の我に出会う旅” でもあるのだと思うと、

なんだかこれからが楽しみになってくる。


これから私はどんな未見の我と出会うのかと思うと、

新しい事に挑戦するのがワクワクする。


同じ私なのに、気持ちをほんの少し変えただけなのに・・・

なんて見える景色や、これからが楽しいものに思えるのか。 

人間の気持ちって、心って、本当に自由自在。


なんだか、楽しみです。

今日一日も、未見の我に出会う旅の一日なのですね。


あぁ、今日はどんな新しい自分に会えるのだろう! 

同じように相手にも未見の我があり、それをお互いに発見するって楽しいこと。


生きているって、それだけで素晴らしいが、こんな事を教えていただき感動し、

実践しようと思えることに出会い、感謝です。


昨夜は中小企業診断士の先生の紹介でプレのセミナーに参加させて頂いた。

殆どが若い男女の方々、中に中年の男性達がちらほら、私の年代はわたし一人。

それも最前列で、最初は少し雰囲気が違いとまどったが、すぐに、

感動したり笑ったりと、いつもの私で参加させてもらっていた。


そこで学んだのが、パラダイムだったので今日の朝礼で読んだ「未見の我」が、

とても心に響いた。


色々なことに出会い、人は感動し、啓発され生きていくのですね。』


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その時のチャレンジは、(一社)神戸暮らしの学校の設立でした。

そして手紙のセミナーを全国に!と決意した頃でもありました。


思いがけなく、昔の自分に出会いました。

お陰様で実現。

生きている限り、「未見の我」に出会う旅は続くのですね。


みなさんに、今日も嬉しい事がありますように!



村山順子

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