亡き妹への手紙! 由紀さん ありがとう!ごめんね!
- 村山順子
- 2020年9月14日
- 読了時間: 3分
おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。
朝夕涼しくなりましたね。
突然ですが、ご兄弟がいらっしゃいますか?
皆様、お元気でいらっしゃいますか。
週明けから、湿っぽいメルマガの投稿、
お許しくださいね。
私は、5人姉妹弟の長女として生まれました。
真ん中の妹が、66歳で亡くなり2年7ヶ月余り。
ここ数日は、特に亡き妹の事が思いだされてなりません。
台風10号が故郷、沖永良部島近くを通るとニュースで何度となく聞き、
余計、妹の事を思い出したのだと思います。
無人となった実家。隣は町役場です。
いつも屋敷に雑草が生えるのを気にしていた、母と亡き妹。
故郷に住んでいた時は、シルバーの方々に草刈りをお願いし、
無人となった今は、末の妹の友人が定期的に草刈りをしてくれています。
仲の良い妹夫婦でした。
私の次男が生まれる時には、夏休み中という事もあり妹夫婦で神戸にきて
一緒に暮してくれました。
子ども好きな妹夫婦でしたが、子どもに恵まれませんでした。
高校教師だった夫(義弟)を早くに見送った後は、
実家で、脳梗塞で身体が不自由になった母の世話をしながら、
自分でお店を開き、両親と一緒に暮らしていました。
父を見送り、妹自身が透析をするようになり、母は、ケアハウスへ入所。
透析以外の日は毎日、母の元に通い、それはそれは行き届いた、
痒いところに手が届く・・と言うような世話をしてくれていました。
そして妹自身が癌になり、弟の紹介で宮崎の大学病院へ。
その時、私たちに頼んだ事があります。
それは誰も故郷に住む予定がないので、お墓を弟の住む宮崎に移して欲しいと。
妹も自分が故郷で暮らす事ができない事を思い、後を頼んでいました。
母も宮崎のケアハウスへ。
今頃になってですが・・
会社の代表を代わっているのだから、私が故郷に帰って妹と一緒に暮らしていたら・・
妹の人生も、少し変わっていたのでは・・と妹亡き後、気づきました。
申し訳なかった・・と、妹に詫びる思いです。
1人暮らしに慣れた妹は、「1人が良い」と、言うのかも知れないけど、
1番身軽な私が故郷に帰れたのになぁ~・・と。
いつもは沖永良部島、そして講演などがある時は神戸に戻り、出来ることをして・・
そんな暮らしができたのに・・・・思いつきませんでした。
妹を思い遣る気持ちが、足りませんでした。
大阪で会社を経営している尊敬する友人(女性)は、大阪と故郷、徳之島を
行き来しながら暮らしています。
徳之島でも障碍者のための仕事を創出。軌道にのせ、しっかりお給料もお渡しできる
ようになったと。社員に任せ大阪と徳之島を行き来しています。
大阪の会社も任せることによって、後継者たちも育っているようです。
自分でもわかっているのですが、
どうしようもない事を、考える事があります。
妹の願いは「母より1日でもいいから、長く生きたい」と。
妹の願いは叶いませんでした。
よく気がつく、すぐ下の妹にそんな事を話すと、
「由紀さんが生きていたら、お母さんがどうしたら喜ぶかを考えて、先に必要な物を揃えていたよね。」と。
「お母さんに喜んでもらう事が、妹に喜んでもらうことになるから・・・」と、
亡き妹に出来なかった事を悔やむ私に、話してくれます。
そうだなぁ~と。
妹たちには、教えられることが多いです。
帰宅し、玄関に入るときには、
夫はじめ、亡き愛しい人たちの名前を声に出して呼びかけ
「ただいま、帰ってきましたよ」と、大きな声で話しかけるのが
私の日課です。
妹は、私の中で生きています。
目を閉じると妹の声がはっきり聞こえます。
こうして書いていると、妹にしてもらったことの多さに涙が溢れます。
「由紀さん、ありがとうね!
そして心の足りない姉でごめんね!」と。
亡き妹の唄う「演歌はイイね」を聴きながら書いています。
写真の妹が、笑っています。
週初めです!
今週は、新しい内閣総理大臣が決まり、
組閣人事が発表されます。
素敵な1週間でありますように!
村山順子
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