おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えの事と存じます。
今日から7月!文月ですね。
文月・・いろいろないわれがありますが、
今月は手書きの手紙や葉書を書いてみませんか?
暑中見舞いの時期でもありますので。
少し長くなる事お許しください。
「手紙」は私の人生の恩人です。
人生を明るい方、明るい方へと導いてくれました。
その手紙は、文章も練ったものではなく、ただ感動したことのお礼の手紙や、
やむにやまれぬ思いで「みんな頑張ろう」との励ましを書いた手紙たちです。
振り返ると、すべては亡き夫からの手紙が始まりでした。
出張先で突然逝った夫。亡くなる40日前の私の誕生日に貰った10行ほどの短い手紙に、
生きる勇気と希望をもらい、52才直前、1人自宅の一室で起業。
その手紙が無ければ起業していませんし、今の私はいません。
いつ終わるかもしれない限りある命!後では無く、思ったらすぐに行動する・・私の場合その殆どが手紙でした。
2002年全国誌「いきいき」(現ハルメク)に取り上げて頂いたのも、
大切な主人を亡くし悲しんでいる読者へ「私も同じだったよ。今、小さな仕事を始めているよ。少しずつでいいからみんな頑張ろう」と、送った一通のファックスからでした。
また、NHKのラジオビタミンに出演することになったのも、2010年1月17日、阪神淡路大震災から15年の「祈りのとき」に、村上信夫さんはじめ、プロのアナウンサーがボランティアで神戸の文化ホールに来てくださいました。
一般公募の方々から選ばれた「亡き方々への100文字メッセージ」を
朗読してくださいました。
私のメッセージも選ばれ読んで頂きました。
全てが素晴らしく、感動感動で、終わっても席を立つことができませんでした。
プログラムに書いてあった主催者はじめ、プロのアナウンサーの皆様に、
感謝の手紙を書いて送りました。
程なく当時NHKエグゼブティブ村上信夫アナウンサーから、お電話を頂きました。
村上さんは私の手紙に「心を掻きむしられた!」と言って下さり即、
ラジオビタミンへの30分の生出演を依頼下さいました。
無名の私は「とんでもない事」と即、お断りしました。
村上さんは、「1月末に小野市にボランティアで講演に行くのでお会いしましょう!」と。
そして小野市で再会。
再度お勧め下さり、東京のNHKのスタジオで生出演する事になりました。
ラジオ出演は、思いがけず沖永良部島の母に喜んで貰う事ができました。
手紙がつないでくれた多くの嬉しい出来事!書き出したらいくら書いてもつきません。
中でも嬉しかったのは、起業する前に勤務していた親友(社長)との関係です。
阪神淡路大震災のあと、仕事がなくなり会社は風前の灯火。
何とか社長に喜んで貰いたい!会社を大きくしたい!どうしたら良いのかと考え、
教師の経験しかない私でも、懸命に考えると知恵も勇気も湧いてきて
大手管理会社に飛び込み営業。
いろいろ言われましたが、気に入って頂き、お陰様で大きな仕事を頂き会社は急成長!
ですが、創業当初の想い、
「額に汗する仕事を通して私たちの人格を磨こう!」との理念と違う方向に・・・
1999年7月20日、
「夫亡き後、正社員としてとても良くして頂きましたが、
社長の仕事の仕方に付いていけません」と、
やめさせてもらいました。円満退社できませんでした。
3ヶ月ぐらい経つと、経営者としての社長の悩みもあったのだと気づきました。
何度かお礼とお詫びを試みましたが・・・叶いませんでした。
その事だけは心に封印していました。
ですが、経営者の勉強会で「職恩」・・誰のおかげで今の仕事ができるのか!
とのお話を聞かせて頂き電流が走りドキドキしながら先生の話を聞き、
即、社長へ心からのお礼とお詫びの手紙を書きました。
手紙を読まれた社長が、事務所に訪ねてくださり、2人きりで4時間
積もり積もった話をしました。
手紙は、疎遠になっていた社長との関係を、優しく深く結び直してくれました。
今は食事に行ったり、相談する間柄になっています。
手紙は、面と向かって言えないことも、素直に伝えることができます。
また読み返せるので書き忘れなどないです。
言葉は一旦言葉に出すと、言い直しがききません。
私がお勧めしている手紙は相手を思い浮かべ、話しかけるように書く手紙です。
誰でも書けますが、その手紙はその人しか書けない手紙です。
手紙のことになると、
伝えたくて、多くの方に書いて頂きたくて!長くなりました。ごめんなさい。
日本全国一定料金で、葉書や手紙が正確に届く郵便制度の素晴らしさ!
郵便局の皆様に感謝です。
『手書きの手紙は優しい心の贈り物』
家族の間でも、記念日毎に手紙(メッセージカード)を書く習慣が
出来ると良いですね。
素敵な7月でありますように!
村山 順子
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