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母は幸せだろうか? お母さん 生きていてくれてありがとう

執筆者の写真: 村山順子村山順子

おはようございます!

今朝も笑顔満開お元気で朝をお迎えの事と存じます。

みなさん、ご両親はご健在ですか?

既に見送られた方もいらっしゃると思います。

私も父を20年前に見送っています。


私たちは、生を受けたその瞬間から、

皆がゴールを目指して生きています。

早かれ遅かれみんなが行く道。


できれば最期の時も、目も耳も聞こえ、「有難う」を伝えて逝きたい

と願っています。


母は今年90歳。宮崎のケアハウスでお世話になっています。

母の兄弟10人中、1番長生きしてくれています。

1昨年10月、故郷沖永良部島から宮崎市のケアハウスに移ってきました。

そこは弟が主治医をしており、毎週弟に診て貰っています。

(この事は母にとっても、弟にとっても幸せなことです)


脳梗塞で右半身不随だった母ですが、杖をついて左手で料理も作っていました。

大腿骨骨折をしてから寝たきりになってしまいました。

話すこと、聞くことはできますが、今は目がほとんど見えなくなり

私たちも声で聞き分けています。

テレビを見る楽しみが奪われ、動けず、食事も嚥下がうまくいきません。

肉が大好き!それもステーキでないと肉ではない!というくらいの母が

ほぼ流動食です。食べる楽しみも無くなっています。

美容室にタクシーで通って、毛染めをして貰っていたお洒落な母が、

美容室で座ることができなくなりました。

唯一、好きな歌を歌うのが母に残された楽しみです。

「矢切の渡し」を繰り返し聴きながら口ずさみ、また唱歌を歌っています。

もう一つありました。ケアハウスの一階のデイサービスに寝たままで移動できる

車椅子で行くのは楽しみのようです。


そして、なによりも私たちが訪ねて行く事を心待ちにしています。

妹たちと話し合い 順番に母の元を訪ねています。


気丈な母でした。

寝たきりになった母の事を考えると、胸が詰まります。


母の生きがいは、『5人の子どもたちに教育を受けさせしっかり育てる事! 』

でした。

そして4人の女の子の後、やっと生まれた弟を祖父達の後を継いで医者にすることが母の願いでした。

下宿、民宿、ホテルと規模を大きくし、母の寝ている姿を見たことがないというほど働きづめで 働き、

仕送りを20数年続け、それを全て実現。

我が母ながら“凄いなぁ!“と思います。

大変な時、

「母ならどうするだろうか?」と母の事を思うと、

「母の子なら乗り越えられるはず!」と、

いつも母の姿に、乗り越える力を貰いました。

気づくと、私たち兄弟は母の背中をなぞりながら生きてきたように思います。


今の母は、私たちの為に、生きていてくれているのだと感じることがあります。

少しなりとも親孝行の真似事をさせてくれたり、母との時間を過ごさせてくれるために

生きていてくれるのだと思います。

親の子どもを想う心の深さを思います。

もっと頻繁に、宮崎の母に会いに行こう!と思う今朝です。

31日、3姉妹揃って母に会いに行きます。

待っててね。お母さん!


話は変わりますが、

明日私は、致知出版社の新春特別講演会に参加のため、東京に行って参ります。

1100名の方々が北海道~沖縄県から参加されています。

どんな話がお聴きできるのか楽しみです。


みなさん どうぞ素敵な週末をお過ごしくださいますよう!



村山順子

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