おはようございます!
今朝も笑顔満開、
お元気で朝をお迎えの事と存じます。
自粛中の連休。
「出かけないで 家に居てください!」と。
またとない絶好の機会!
日頃出来ない事を一つ一つしています。
1.物の整理 2.読書 3.ストレッチ・散歩 4.プランターの植え替え
5.常備菜を作り冷凍・・・等々
こんなに家で過ごすのは何十年ぶりだろうか?
大好きな場所にある「家」の事を思う時間でもありました。
築50余年の木造2階建ての家!
亡き義父が建てた家・・柱がいっぱいあり丈夫で、タイル張りの暖炉のある家でした。
(阪神大震災の時も外壁のタイル二枚落ちただけでした)
応接間には、真っ赤な厚みのある絨毯が敷いてありました。
沖永良部島から裸一貫で出てきて川崎製鉄、兵庫県警に勤務。
定年後は皇居で叙勲の栄を。程良い広さの義父の思いの詰まった家です。
義父母を見送り、夫を見送り、子どもたちが巣立った家です。
実は、娘が大学を卒業し塩野義製薬の創薬研究所に就職する時、
こんな事を言いました。本当は会社の寮に入りたかったようですが、
自宅から通える距離と、入寮できなかったとの事。
「家から通いたいけどリフォームしてくれないかな?」と。
今から18年前のことです。
私が起業して7年目のことでした。
真剣に考えました。当時で築35年。
ずっと木造戸建てに住んでいたので
ワンフロアのマンションに住みたいとの憧れもあり、
多くのマンションを見学しました。
年齢は59歳。良いな~と思ったマンション。
心が動きました。
業者は「立地が良いから急がないと売れますよ」と急がせます。
そして、亡き愛しい人たちを思いました。
「義父母を見送り、夫と楽しく過ごした日々、4人の子どもたちを育て、夫を見送り、
子どもたちが巣立って行ったこの家、楽しい思い出のいっぱい詰まったこの家を!
この土地を!離れることはできない!」との結論。
そして引っ越し、全面リフォームをする事になりました。
設計は1級建築士の義弟がしてくれました。
私が1人暮らしになっても、1階で全てが完結できるように考えて、
広いワンルームにしてくれました。
大好きな家!義父母を良く知り、夫も子どもたちも知っている
変わらぬご近所さんがいます。
お陰様で今、快適に暮らしています。
あの時、マンションを買わないでリフォームする事を選んで
本当によかった!と。
そんな事を思い出しながら整理しています。
今、新型コロナ・ウイルスの自粛が続く中ですが、
懸命に生きていけば、
いつか「あの時があったから今がある!」と、
笑顔で言える日がきっと来ると思います。
明るく、笑顔で
「大丈夫!大丈夫!大丈夫!」と声に出して言ってみませんか!
1番初めに「大丈夫!」を声を聞くのは「自分の耳」です!
元気になる言葉を言いませんか!敢えてでも。
今日も笑顔の1日でありますように!
村山順子
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