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阪神淡路大震災から24年!

執筆者の写真: 村山順子村山順子

おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えの事と存じます。


24年前の1995年1月17日午前5時46分。

真冬の凍てつく日、阪神淡路大震災が発生!

一瞬に多くの尊い命が失われ、住む家を失うという

未曾有の大地震に襲われました。

日本全国から多くの方々が、ボランティアに来てくださり

ボランティア元年とも言われています。

人の優しさを実感する阪神淡路大震災でもありました。


その時間、私はお風呂に入っていました。

木造の家の浴室の壁が波打ち、私に迫って来るのをはっきり 見ました。

どうやって服を着たのかも分かりませんが、お陰様で家族は全員無事でした。

水道、電気、ガスは止まりましたが、家の被害は、食器が割れ、

玄関タイルが数枚落ちただけで済みました。

重いタンスが、子どもたちに落ちてきたのですが、お陰様でかすり傷もなく、

無事でした。


私たちは避難所には行かず、自宅で過ごしましたが家にある食材で、

家族6人どうやって食事を作り過ごしていたのかはっきりとは覚えていません。

救援物資を頂きに行く事も無かったように記憶しています。

(食料をたくさん備蓄していた訳では無かったと思いますが記憶がありません)

ただ長男がアルバイトをしていた大手コンビニエンスストアの会社から

布団や、毛布などいろいろ届きました。


そんな中、日頃ほとんどお付き合いの無かった近所の1人暮らしの老婦人宅に

様子を見に行き、食事を作って届けたり!と、みんな自分のことより、誰もが

困っている人は居ないかと、気遣っていたように思います。

トイレの水も、子どもたちが中学校のプールからバケツで汲んで、お年寄り宅に届けていました。

みんなが、お互いを思い合い、優しさに溢れた関係が自然に作られていました。


あれから24年。 あの時の無条件の優しさが、今私自身にあるだろうか?

ものは溢れ、多くの方々が物質的には恵まれているが、

お互い様!と、自分も困っている中で、相手を思い優先する優しさが、私自身を含め

住んでいる地域では地震当時に比べると、随分 少なくなっているように思います。

「我関せず」・・という風潮が、いつのまにか蔓延しているのでは・・と思います。


身近なことでは、

災害に備えての食料の備蓄や、用具など点検し、非常時の持ち出し品も今一度

確認しようと思う今朝です。(数年前までは“大事袋“・・大切な書類を入れた袋を用意していましたが・・)


そして今の私は、仕事で早く出かけ、遅く帰るという生活で

ご近所とは 挨拶を交わす程度になっています。

もっとご近所の皆さんと積極的に関わっていこうと

思う今朝でもあります。

そして万一の災害に備え、自分たちの暮らしを1週間程度は守れるような備蓄と、

持ち出し品の準備と、心の準備をします。


阪神淡路大震災関連で、亡くなられた多くの方々の

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。


そして今日も元気で暮らせる事に感謝です。

笑顔の一日でありますように!



村山順子

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