おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。
日曜日の夕方、三宮に映画を観に行きました。
夫が生きていた頃はいつも一緒に映画、そのあと食事、お茶して帰宅!が、いつものコースでした。
夫亡き後、1人でも映画に行けるようにと、何度も挑戦!
その度に、2人連れの方々ばかりが目に入り・・映画を観るどころではなく、泣き帰ったことが何度あったことでしょう!
訓練を重ねました(笑)
今はレイトショーも、一人で楽しめるようになりました。
年月は、私を強く自立した女性に育ててくれました(笑)
観た映画は、「コーダ あいのうた」
家族中でたった1人健聴者である少女は「歌うこと」を夢みた。・・とテレビコマーシャル。
瞬間に父のことが浮かび、観に行きたいと思いました。
亡き父も耳が聴こえませんでした。
もっと父と話しておけば(筆談)良かった!と、後悔ばかりです。
田舎に帰るときは飛行機から降りると、すぐに母の手伝い(ホテル)をしよう!と、家に入り、霊前にお参りしたらすぐにエプロン!
母の指示に従い働いていました。
父の話し相手はなかなかできなくて、寂しい思いをさせたまま・・申し訳ない娘でした。
実は亡き父は、4人兄弟の中で1人だけ耳が聴こえませんでした。
祖父は熊本の医大生の時、祖母と出会い結婚。
祖父は、父のお嫁さんには、大勢の兄弟の真ん中で、上からも下からも揉まれたしっかりした人を!と。
10人兄弟の真ん中の母に白羽の矢が。18歳で父のもとに。
お手伝いさん、看護師さんはじめ大勢の人たちの中で、可愛がられ何不自由なく育ったきた父。
ハンサムでおしゃれで、持ち物は全て一流品を買って貰っていたそうです(祖母は父が不憫で、欲しいものは鹿児島のデパートから取り寄せていたそうです)。
私(5人姉妹弟の一番上) が故郷沖永良部島にいるときは、まだ実家も、亡き祖父の遺産があり豊かでした。
父は私が小学校に行くとき、いつも鉛筆を綺麗に削ってくれていました。
絵も字も写真も上手。優しい父でした。
父は鹿児島の聾唖学校で家具作りの技術を身につけていました。
材料、機械も一流品。
出来上がった箪笥は、何年経っても寸分の狂いも出ない一流品。
安く売ってお客様に喜んで貰っていたとの事。
母は、父が作れば作るほど赤字・・と嘆いていたとのこと。
母は下宿から民宿、ホテルへと拡大、仕出しもして、寝る間も惜しんで働きづめ。父はホテルのフロント業務。
そして、5人の子どもたち全員に、教育を受けさせてくれました。
話を映画に戻しますね。
映画の中で、お兄さん(青年)が、飲みに誘われ出かけます。
みんなが楽しそうに話し飲んでいるのに全く聴こえず、仲間はずれ・・荒れて喧嘩に!
店を追い出されるシーンがありました。
そのシーンを観て、父も同じような寂しさを何度も味わってきたのだと思いました。
親戚のお祝いで招待されて出かけると、お酒の入った父が、帰ってきて荒れて困った!という話を何度となく聞きました。
みんなの話の内容が分からず、1人疎外感を抱えていた父。
熊本育ちの祖母は田舎に親戚はなく、酔うと、父は母に「僕は親戚もいないので1人!ツヤ子(母の名前)は親戚や兄弟がいっぱい!」と話していたと。
どんな気持ちだったか父と重なり、映画を観ていて涙が止まりませんでした。
お兄さんが恋人と携帯のメールで会話していた場面がありました。
あぁ~父が生きている間に携帯が有れば、メカに強い父でしたから、どれほどコミュニケーションがとれ、孫たちとも交流できていたことか!父に寂しい想いをさせなくて済んだのに!
残念でなりません。
父の寂しさ、悔しさをしっかり受け止められなかった事、申し訳なさでいっぱいでした。
映画では、耳の聴こえない家族の為に、音楽の夢を諦めようとする健聴者の妹(娘)!
その夢をみんなで応援!見事音楽大学に合格!
映画を観て、父への想いが溢れ涙が止まりませんでした!
お薦めの映画です!
みなさん、今日も笑顔溢れる一日でありますように!
村山順子
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