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2022年1月25日 映画『コーダ あいのうた』観てきました!


おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。


日曜日の夕方、三宮に映画を観に行きました。

夫が生きていた頃はいつも一緒に映画、そのあと食事、お茶して帰宅!が、いつものコースでした。

夫亡き後、1人でも映画に行けるようにと、何度も挑戦!

その度に、2人連れの方々ばかりが目に入り・・映画を観るどころではなく、泣き帰ったことが何度あったことでしょう!

訓練を重ねました(笑)

今はレイトショーも、一人で楽しめるようになりました。

年月は、私を強く自立した女性に育ててくれました(笑)


観た映画は、「コーダ あいのうた」

家族中でたった1人健聴者である少女は「歌うこと」を夢みた。・・とテレビコマーシャル。

瞬間に父のことが浮かび、観に行きたいと思いました。


亡き父も耳が聴こえませんでした。

もっと父と話しておけば(筆談)良かった!と、後悔ばかりです。

田舎に帰るときは飛行機から降りると、すぐに母の手伝い(ホテル)をしよう!と、家に入り、霊前にお参りしたらすぐにエプロン!

母の指示に従い働いていました。

父の話し相手はなかなかできなくて、寂しい思いをさせたまま・・申し訳ない娘でした。


実は亡き父は、4人兄弟の中で1人だけ耳が聴こえませんでした。

祖父は熊本の医大生の時、祖母と出会い結婚。

祖父は、父のお嫁さんには、大勢の兄弟の真ん中で、上からも下からも揉まれたしっかりした人を!と。

10人兄弟の真ん中の母に白羽の矢が。18歳で父のもとに。


お手伝いさん、看護師さんはじめ大勢の人たちの中で、可愛がられ何不自由なく育ったきた父。

ハンサムでおしゃれで、持ち物は全て一流品を買って貰っていたそうです(祖母は父が不憫で、欲しいものは鹿児島のデパートから取り寄せていたそうです)。

私(5人姉妹弟の一番上) が故郷沖永良部島にいるときは、まだ実家も、亡き祖父の遺産があり豊かでした。


父は私が小学校に行くとき、いつも鉛筆を綺麗に削ってくれていました。

絵も字も写真も上手。優しい父でした。

父は鹿児島の聾唖学校で家具作りの技術を身につけていました。

材料、機械も一流品。

出来上がった箪笥は、何年経っても寸分の狂いも出ない一流品。

安く売ってお客様に喜んで貰っていたとの事。

母は、父が作れば作るほど赤字・・と嘆いていたとのこと。

母は下宿から民宿、ホテルへと拡大、仕出しもして、寝る間も惜しんで働きづめ。父はホテルのフロント業務。

そして、5人の子どもたち全員に、教育を受けさせてくれました。


話を映画に戻しますね。

映画の中で、お兄さん(青年)が、飲みに誘われ出かけます。

みんなが楽しそうに話し飲んでいるのに全く聴こえず、仲間はずれ・・荒れて喧嘩に!

店を追い出されるシーンがありました。


そのシーンを観て、父も同じような寂しさを何度も味わってきたのだと思いました。

親戚のお祝いで招待されて出かけると、お酒の入った父が、帰ってきて荒れて困った!という話を何度となく聞きました。

みんなの話の内容が分からず、1人疎外感を抱えていた父。

熊本育ちの祖母は田舎に親戚はなく、酔うと、父は母に「僕は親戚もいないので1人!ツヤ子(母の名前)は親戚や兄弟がいっぱい!」と話していたと。

どんな気持ちだったか父と重なり、映画を観ていて涙が止まりませんでした。


お兄さんが恋人と携帯のメールで会話していた場面がありました。

あぁ~父が生きている間に携帯が有れば、メカに強い父でしたから、どれほどコミュニケーションがとれ、孫たちとも交流できていたことか!父に寂しい想いをさせなくて済んだのに!

残念でなりません。


父の寂しさ、悔しさをしっかり受け止められなかった事、申し訳なさでいっぱいでした。

映画では、耳の聴こえない家族の為に、音楽の夢を諦めようとする健聴者の妹(娘)!

その夢をみんなで応援!見事音楽大学に合格!

映画を観て、父への想いが溢れ涙が止まりませんでした!


お薦めの映画です!


みなさん、今日も笑顔溢れる一日でありますように!



村山順子

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