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執筆者の写真村山順子

2022年10月17日 『「道草」も食わずに何急ぐ』



おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。


金木犀の香りに、深まりゆく秋を感じます。

お天気に恵まれた週末、いかがお過ごしでしたでしょうか。


私は土曜日、摩耶山天上寺に。

渡り蝶“アサギマダラ”に会いに行ってきました。

摩耶ケーブルからロープウェーに乗り換え、あとは徒歩で。

アサギマダラ!・・今年はチラホラでしたが、逢えました。


今朝のタイトル『「道草」も食わずに何急ぐ』は、致知11月号の

占部賢志先生(中村学園大学客員教授)の言葉です。

話の「間」について考え、学んでいる私にとって、

「なるほど!」「そうだなぁ~」と思い当たる事が載っていました。

長くなりますが、少し抜粋させて頂きます。


・「間」と「休符」

 テレビではお笑い芸人が騒々しくしゃべくりまくる。まるで言葉の洪水。

 日本独自の「間」と呼ばれる表現活動の文化は失われつつあります。

 辛うじて残ったのが、古典落語などの伝統芸能ぐらいではないでしょうか    

 音楽も休符が、一種の緊張をもらたす効果さえあるのです。

 このように落語の間も、音楽の休符も、共に力強いエネルギーが潜在する。

 濃密な「沈黙」と言っていいでしょう。まさに緩急の妙です。


・黙ってものを見る難しさ

 美術館の展覧会場で解説が流れるレシーバーを見かけますが、

 あれも一種のお喋りのようなもの・・・

 余計なものを介さずに感受性を働かす、あるいは沈思黙考すること。

 その内的体験こそ精神生活における「間」なのです。

 (いつも解説を聴いている私は、ドキリでした)


・青春と道草

 早熟で、個性的な高校生ほど、受験第一主義の俗物教師に愛想を

 尽かしたり、恐ろしいほど画一的なクラスに馴染めなくなったりで、

 そこから遠ざかる・・・

 時の流れにただ身を任せるのではなく、いったん規定路線から降りて、

 ゆっくり自分を見つめ直す。それもまた青春なのです・・


・空海と「謎の空白時代」

 空海の二十代の一時期は「謎の空白時代」と呼ばれています。

 “空海の偉業は留学の成果というよりは「謎の空白時代」に蓄えられた成果が

 留学を契機に花開いたと見るべきだ(評論家立花隆氏)”と。

 なるほど、そうだろうなと私も思います。

 機会に恵まれず、地上の池に潜む龍を指して「潜龍」と言いますが 

 空海の「謎の空白時代」はこれに似たところが・・・ 

 いずれ潜龍は時を得たならば、青雲を巻き起こして天に昇る「昇竜」と化す。

 やはり青年期には、そうした飛翔の前の支度の時間が欠かせないのです。



占部先生のこの文章、一年前の私なら、

軽く読んで素通り・・だったことでしょう。


私自身が今、話の「間」を、以前より深く考えるようになった事。

講演先でも「直行直帰ではなく、旅を楽しもう!」と決意し、

先日福山市での講演の後、

「鞆の浦」を観光してきたばかり・・でした。


全ては自分の心次第!

気がついた今から、『間・黙ってものを見る・道草』

心の中に置いて生きていきます。


みなさん、今週もお健やかで、

笑顔溢れる毎日でありますように!



村山順子

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