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執筆者の写真村山順子

2022年2月9日 「天職」とは出会うものではなく、 自らつくり出すものなのです(稲盛和夫一日一言・・致知出版)


おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。

今日は少し寒さが和らぎ、日差しがあるとの事。


話は変わりますが、京セラ・第二電電(現KDDI)創業者「稲盛和夫 一日一言」の昨日2月8日の言葉。


『天職 「天職」とは出会うものではなく、自らつくり出すものなのです』


一日一言の365日の中で、一番短い文章です。

“そうだなぁ”と心から共感する言葉です。


私は今、74歳!越し方を振り返る時、その時々で「天職」と思う仕事をしていました。

出会った仕事が「天職」になっていました。


最初は「小学校の教師」でした。

なりたくてなったわけではなく、元々は大手新聞社を受験。

一次はパス。二次は論文と面接。大丈夫だと思っていましたが…その年、女性は全員不合格でした。

その後、小学校教諭の資格が私を助けてくれ、産休の裏付けで勤務しながら兵庫県の採用試験を受け、合格。

卒業して半年後、尼崎市の小学校での勤務が決まりました。

短大を出たばかりの私がクラス担任!

『子どもたちは教師を選べない!こんな未熟な教師で申し訳ない!だったら私が良い先生になるしかない!』と決意。

他の先生方の教室運営を見せてもらい、自分なりに工夫を続けました。

すると、子どもたちはみるみる成長!

さらに、参観日の保護者の人数が月を経るごとに増え、いつの間にか応援団ができていました。

(当時の保護者は、若い先生を育てようという大らかさのようなものがありました)

もう楽しくて楽しくて、毎日が充実!

毎日45人の子どもたちの日記を読んで、赤色で感想などを書き込み、返し、また明日!

夢中になると、お給料日のことなどもすっかり忘れ、校内放送でよく「ひろの先生、今日は嬉しい〇〇日です」と呼び出され、子どもたちに笑われながら事務室に走ることも…。

校長、教頭先生から「ひろの先生は将来の女性校長やね」と言われ続け、すっかりその気になっていました。

『天職』だと思っていました。


そんな時、縁あって結婚!

夫亡き後はお掃除の仕事を起業!

どうしたらお客様に喜んで頂けるかを考え続けました。

綺麗になり、喜んで頂けるのが嬉しくて!

同時に自分の心の曇りも取れていく気がしました。

代表を長男が代わってくれ、今は夫が遺してくれた「手紙」というライフワークが『天職』です。

『「天職」は出会うものではなく、つくり出すもの』という稲盛和夫氏の言葉がスーッと心に入ってきます。


人と比べるのではなく、自分の心次第!

今日なすべきことを、喜んで精一杯させていただきます。


みなさん、素敵な一日をお過ごしくださいますよう!



村山順子

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