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執筆者の写真村山順子

2022年4月18日 結婚50年!金婚式でした。


おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。

爽やかな天気に恵まれた週末。

いかがお過ごしでしたでしょうか。


私事で恐縮ですが、

16日土曜日は、結婚50周年!

夫が生きていてくれたら金婚式でした。


一人で迎えるようになり25年が経ちました。

毎年この日は、夫の好きな物を作りお供えしています。

休日という事もあり、夫の事を静かに思い出す一日でした。

誠実で周りの方々にも優しい、尊敬できる夫でした。


夫との出会いは、学生時代下宿していた叔父の強い勧めで、大晦日にお見合い。翌日のプロポーズ。

教師は天職と思っていましたが・・・退職し、結婚する事になりました。

夫は北九州市、私は神戸に住んでおり、結婚式まで3回会っただけでしたが、心から尊敬できる夫でした。

元気な時から、よく2人でこんな話をしていました。

「私たちを合わせてくれたおじちゃんに感謝やね!」と。


優しい村山の両親は、娘が出来たと大喜び!可愛がってくれました。

今、書いていても両親のことが思い出され、涙が溢れてきます。

一人っ子の夫から4人の子が生まれ、両親は孫たちを、それはそれは可愛がってくれました。

よく一緒にお弁当を作って遊びに出かけました。


夫は、私の妹のこともとても大切にしてくれました。

保険会社のトップセールスレディだった真ん中の妹は、お客様の連帯保証人に。

その方が倒産、夜逃げ。

妹に取り立てが・・どうすることもできなくなった妹は私に電話。

専業主婦だった私は、多額のお金の用立てはできない事を「ごめんね!変な気持ちを起こさないでね!」と伝えました。

夜、その事を夫に話しました。

翌日、子どもたちが寝てから「順さん座って」と、こう話してくれました。

「順さん、あのね、ある中で助けるのは誰でもできるけど、無い中で何とかするのが兄弟じゃないかなぁ」と、テーブルの上に分厚い封筒を置いてくれました。

会社から、借りてきてくれたのです。

その中には、妹へのお金と、鹿児島行きの私の飛行機のチケットが入っていました。

「順さん、行っていらっしゃい!」と。


その頃、私たちも家のローンを払っており、4人の子供たちも教育盛りでしたので、夫に「妹に用立てたお金、少しでも返してもらおうかなぁ」と、つい言葉に出してしまいました。

夫は、「その事は言わないでね」と。

とうとう私たちが完済しました。

どこまでも優しい夫でした。

(妹は、娘が薬学に進学し一人暮らしをしていた4年間、娘の足長おばさんをしてくれ、お小遣いを送ってくれていました。)


当時、夫は兵庫県の外郭団体、公立学校の先生方の預かり金の資産運用を任されていました。

ある時夫は、「順さん、座ってくれないか」と、こんな話をしてくれました。

資金運用がうまくいくこともあれば、うまくいかなくて損失を出すこともあるとの事。

夫は「会社に損失をかけた時は、家を売ったぐらいじゃ足りないけど、この家を売って損失補填に充てても良いかなぁ?」と。

私は「家を売っても良いよ!だけどね、そんな怖い仕事の担当はやめて、部署替えの希望を出して欲しい!」と頼みました。

夫は「難しい仕事を任せてもらえるのは、男冥利に尽きるじゃないか!」と、笑っていました。

夫の素晴らしさ、感動した事は書ききれません!

ありのままの私をすっぽり受け入れ、包み込んでくれた夫でした。


昔も今も、夫への気持ちは 変わりません!

幸せな25年間でした。そして今も夫は、私と共に生きています。

4人の良い子どもたちを遺してくれて、ありがとうネ!


あっ!月曜日の朝から、長々とごめんなさい。

みなさん、心軽やかな、素敵な1週間でありますように!



村山順子

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