2022年6月10日 西郷さん!ミヘディロ(ありがとう) (沖永良部島の方言です)


おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。

紫陽花が咲いています。梅雨近しですね。


以前、さっと読んでいた「西郷南洲遺訓」(致知出版)を再度、読み直していました。

明治の立役者であり、私心のない清廉潔白な西郷さん!

そのあまりに悲しい最期を思うと、分かっていても悲しくて・・・

なかなか最後まで読み辛い私です。


幼い頃から聞かされてきた西郷さんのこと!

故郷沖永良部島は、藩主島津久光公の逆鱗に触れた西郷さんが、過酷な島流しにされた島です。

西郷さんが沖永良部島に遺したものは大きく、沖永良部島が「花の島」(アメリカにエラブ百合の球根を輸出)と同時に「教育の島」と言われるようになった基礎を作ってくれました。


幼い頃から祖母や母、島の人たちから伝え聞いた事がずっと心に残っています。

西郷さんは、4畳ほどの雨風の吹き込む格子の中で、日に日に痩せ衰えていったそうです。

「このままでは西郷さんが死んでしまう」と、牢の役人だった島の青年とその母親が、その陋屋を覆うような大きな家を建て、お風呂や食事のお世話をしたことで、西郷さんはみるみる元気になられたそうです。

たくさんの書物を持って来ていた西郷さんは、陋屋の中から、島の子ども、青年たちに、佐藤一斎先生の「言志四録」等で人としての生き方、また飢饉に備えての備蓄の仕方(湿度の高い島で有効な“高倉“という貯蔵庫のこと)等々を教えてくれました。


西郷さんが教育の芽を植え育ててくれ、教育熱心な沖永良部島になりました。

我が家も、祖父、子ども、孫と、内地留学という形で早くから勉強の為に島を出て、その流れは今も続いています。

沖永良部島では今尚身近な存在として語り継がれている西郷さん。

南洲神社そばの西郷南洲記念館では、西郷さんが島に遺したものを展示しています。


「西郷南洲遺訓」の最後に、訳者の桑畑正樹氏がこんな事を書いています。

(長くなりますが転載させて頂きます)


〇庶民に愛された人物像

「内村鑑三の“代表的日本人”でも冒頭に挙げられており、また後世の作家三島由紀夫氏の遺稿に“銅像との対決ー西郷隆盛”という一文を残しています。」


『西郷さん、明治の政治家で今もなお「さん」づけで呼ばれている人は貴方一人です。その時代に時めいた権力主義者たちは、同時代人からは畏敬の目で見られたかもしれないが、後代の人から懐かしく敬慕されることはありません。あなたは賊として死んだがすべての日本人は、あなたをもっとも代表的な日本人と見ています。

(中略)あなたは涙を知っており、力を知っており、力の空しさを知っており、理想の脆さを知っていました。それから責任とは何か、人の信にこたえるとは何か、ということを知っていました。知っていて行いました。』


三島由紀夫氏の事を詳しくは知りませんが、(中略)以下の文章は、政治家のみならず、自分の生き方・・

「・・知っていました、知っていて行いました」

”知っていて行っている自分か“と省みるとき、恥ずかしくなります。


みなさん、今週もお読みくださり、ありがとうございました。

笑顔溢れる、心晴れやかな週末をお過ごし下さいますよう!



村山順子

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