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執筆者の写真村山順子

2022年8月9日 お盆の頃に思う事  生かされて来たのだなぁ~と。


おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。


もうすぐお盆ですね。

お盆が近づくと、今も思い出す光景があります。

70年余り前の事。私がもうすぐ4歳になろうとする時でした。


故郷沖永良部島で、医者をしていた祖父。

患者さん宅へ往診に出かけた祖父が、

瀕死状態で家に運ばれてきました。

雨が降っていました。

私は友達と、自宅の前にある小学校の床下で、石遊びをしていました。


みんな泣きながら、担架に乗せられた祖父を囲みながら家の中へ。

何が起こったのか・・往診中に車が脱輪し、祖父が投げ出され、

その上に車が・・虫の息の中で祖父が遺した言葉。

「運転手を責めてはならぬ」「仲良く暮らせ」だったと、

大きくなってから教えて貰いました。


いつも往診の時は、祖父と一緒に私も車に乗って出かけていました。

よその家でも走り回るやんちゃな私。

子守りの為に、いつも看護師さんも一緒に乗っていたそうです。


ですが、その日の朝、祖父は初めて私を診察椅子に帯で縛り付けました。

私が大好きな、お米で作ったミショウ(お米を発酵させた甘い飲み物)で

気を紛らわし、それでも泣きじゃくる私を、置いていきました。

私が行かないので、看護師さんも車に乗らないで助かったのです。


祖父は何か感じる事があったのか・・

目に入れても痛くないほど可愛がっていた私を、

診察椅子に縛り付けて往診に出かけたお陰様で、今の私がいます。

何か目に見えないものに、守られて生きてきたように思います。

祖母や両親は、祖父の遺言を守り通して今に至っています。


人生に、もしか・・・はないのですが、

いつも通り、往診に私を連れて行ってくれていたら、今の私はいません。

多くの方が、あの時!というような体験をお持ちだと思います。


守られ、生かされてきたことを、しみじみ思います。

そして祖父は今、私を見てなんて話してくれるのでしょうか?

じいちゃんの願った通りの私になれていますか?

そんなことを思う今朝です。


多くの方々の命が、

繋がって繋がって、思ってもらって、

今の私たちがいるのですね。


坂村真民先生の詩

「あとからくる者のために」を思い出します。


『あとからくる者のために 

 苦労をするのだ 

 我慢をするのだ

 田を耕し

 種を用意しておくのだ

・・・・・・・・

 あとからくる者のために

 山を川を海を

 きれいにしておくのだ

・・・・・・・・

 あとからあとから続いてくる

 あの可愛い者たちのために

 未来を受け継ぐ者たちのために

 みな夫々(それぞれ)自分で出来る何かをしてゆくのだ』


みなさん、今日も笑顔溢れる

一日でありますように!



村山順子

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