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執筆者の写真村山順子

2023年11月13日 感動しました!行って良かったです。



おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。


急な冷え込みに、樹々が紅葉しています。

週末、いかがお過ごしでしたでしょうか?


私は土曜日、米子市の小さなコンサート会場に伺いました。

杉浦貴之さんという、がんを乗り越え、シンガーソングライター&講演者として、がんになられた多くの方々や、そのご家族を励ます活動をされていらっしゃる方のコンサートでした。

初めてその活動の様子を見せて頂き、感動しました。


杉浦さんは、愛知県出身の方で、1999年28歳の時、進行性の腎臓癌宣告を受けたそうです。

「早くて半年、2年後の生存率は0%」と・・。

お母さまの「生きているだけで良い」との言葉に救われ、“絶対に治るぞ”との思いで治療。

何がどう効いたのかはわからないけれど、心は常に明るく前向きに持ち続けた結果、退院でき、今に至っているそうです。


2005年、月間「メッセンジャー」を創刊。

12月にホノルルマラソン出場・・その映像も見せて頂きました。

明るい曲を作られ、会場中が笑顔になるような歌やお話をしてくださいました。

なぜ私が、杉浦さんのコンサートを聴きに行くことになったのか・・縁は不思議なもの、予期せぬことから・・でした。


2017年頃、島根県大田市の倫理法人会のモーニングセミナーに、講話の為伺いました。

その時、Aさんというカッコいい40代後半の男性が参加。

セミナー後の食事会の時「村山さん、直近の手紙のセミナーはどこでされますか?」とお尋ねいただいたので、

「東京の歌舞伎座近くの『手紙寺』(證大寺・・江戸川区にある1200年続くお寺。故人様への手紙を書くことを勧められています)からのご依頼で、明後日させて頂きます」と。

すると、なんとAさんはそのセミナーに、島根県からご参加くださいました(東京に用事もあったので・・と)。


その後、1~2度ハガキの行き来はありましたが・・いつのまにか途絶えていました。

それが今年の6月頃、突然ラインに映像が届きました。

驚きました。入院中との事で、ハンサムなお顔は右目の下が大きく赤く盛り上がり、眼球も見開かれていました。

話しづらそうで、鼻声でした。

ご本人はお元気そうに話されていましたが、重篤な状態だと感じました。


その後もラインやハガキのやり取りがあった後の7月頃、突然「癌から立ち上がり、多くの方々に生きる勇気を与えているシンガーソングライターの杉浦貴之さんの応援コンサート」を、病室から企画。

島根県、鳥取県の3ヶ所で開催するとの事で、会場も予約。

11月開催のチラシのレイアウトも考えていたそうです。

ところが8月末、突然Aさんは逝去されました。志半ばで・・。


杉浦さんは、コンサートをやめようかと・・と思われたそうですが、命懸けで企画してくれたAさんの事を思うと・・。

Aさんは1000人規模の大きなコンサートを予定されていたそうですが、規模を小さくして開催する決心をされたそうです。

その事が、亡きAさんのラインで私にも届きました。

今行かなければきっと後で後悔すると思い、予定を変更して行かせて頂く事に。

米子に行って、杉浦さんの音楽や講演を聞かせて頂く事が、Aさんのお気持ちに届くのでは・・と思いました。


そんなわけで、米子駅からタクシーで20分の会場に。

少人数でした。殆どの方が、がん患者と、ご家族・・その中に一人、私が神戸から参加。

歌あり、映像あり、お話あり・・感動と笑い声にあふれた、楽しい時間でした。

会場で杉浦さんの本を購入。

あっ!そうだ。がんの手術を受け、無事退院されているTさんにも送らせて頂こうと!と。

Tさんの分もサインを入れて頂き、昨日手紙を書いてお送りしました。


がん患者の方々で、余命宣言を受けても「希望や、夢、やりたい事がある人は、今もお元気で夢を叶えて活躍中」と話されていました。

恩人のTさんは、そんなに悪い状態ではなかったかも知れませんが、「叙勲」そして年末の「講演」という「希望、想い」を持って頑張ってこられた事・・を思いました。

生きる目的がはっきりしていると、余命宣告されても、生きていらっしゃる方が多いそうです。

米子に行って良かったです。

きっとAさんは、杉浦さんとのご縁を、私に繋いでくれたのだと思います。


亡き母が「順子、たやすい事と、難しい事があったら、難しい事を選びなさいね」と話していた事を思い出しました。


みなさん、今日も笑顔溢れる、楽しい一日でありますように!



村山順子

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