おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。
急な冷え込みに、樹々が紅葉しています。
週末、いかがお過ごしでしたでしょうか?
私は土曜日、米子市の小さなコンサート会場に伺いました。
杉浦貴之さんという、がんを乗り越え、シンガーソングライター&講演者として、がんになられた多くの方々や、そのご家族を励ます活動をされていらっしゃる方のコンサートでした。
初めてその活動の様子を見せて頂き、感動しました。
杉浦さんは、愛知県出身の方で、1999年28歳の時、進行性の腎臓癌宣告を受けたそうです。
「早くて半年、2年後の生存率は0%」と・・。
お母さまの「生きているだけで良い」との言葉に救われ、“絶対に治るぞ”との思いで治療。
何がどう効いたのかはわからないけれど、心は常に明るく前向きに持ち続けた結果、退院でき、今に至っているそうです。
2005年、月間「メッセンジャー」を創刊。
12月にホノルルマラソン出場・・その映像も見せて頂きました。
明るい曲を作られ、会場中が笑顔になるような歌やお話をしてくださいました。
なぜ私が、杉浦さんのコンサートを聴きに行くことになったのか・・縁は不思議なもの、予期せぬことから・・でした。
2017年頃、島根県大田市の倫理法人会のモーニングセミナーに、講話の為伺いました。
その時、Aさんというカッコいい40代後半の男性が参加。
セミナー後の食事会の時「村山さん、直近の手紙のセミナーはどこでされますか?」とお尋ねいただいたので、
「東京の歌舞伎座近くの『手紙寺』(證大寺・・江戸川区にある1200年続くお寺。故人様への手紙を書くことを勧められています)からのご依頼で、明後日させて頂きます」と。
すると、なんとAさんはそのセミナーに、島根県からご参加くださいました(東京に用事もあったので・・と)。
その後、1~2度ハガキの行き来はありましたが・・いつのまにか途絶えていました。
それが今年の6月頃、突然ラインに映像が届きました。
驚きました。入院中との事で、ハンサムなお顔は右目の下が大きく赤く盛り上がり、眼球も見開かれていました。
話しづらそうで、鼻声でした。
ご本人はお元気そうに話されていましたが、重篤な状態だと感じました。
その後もラインやハガキのやり取りがあった後の7月頃、突然「癌から立ち上がり、多くの方々に生きる勇気を与えているシンガーソングライターの杉浦貴之さんの応援コンサート」を、病室から企画。
島根県、鳥取県の3ヶ所で開催するとの事で、会場も予約。
11月開催のチラシのレイアウトも考えていたそうです。
ところが8月末、突然Aさんは逝去されました。志半ばで・・。
杉浦さんは、コンサートをやめようかと・・と思われたそうですが、命懸けで企画してくれたAさんの事を思うと・・。
Aさんは1000人規模の大きなコンサートを予定されていたそうですが、規模を小さくして開催する決心をされたそうです。
その事が、亡きAさんのラインで私にも届きました。
今行かなければきっと後で後悔すると思い、予定を変更して行かせて頂く事に。
米子に行って、杉浦さんの音楽や講演を聞かせて頂く事が、Aさんのお気持ちに届くのでは・・と思いました。
そんなわけで、米子駅からタクシーで20分の会場に。
少人数でした。殆どの方が、がん患者と、ご家族・・その中に一人、私が神戸から参加。
歌あり、映像あり、お話あり・・感動と笑い声にあふれた、楽しい時間でした。
会場で杉浦さんの本を購入。
あっ!そうだ。がんの手術を受け、無事退院されているTさんにも送らせて頂こうと!と。
Tさんの分もサインを入れて頂き、昨日手紙を書いてお送りしました。
がん患者の方々で、余命宣言を受けても「希望や、夢、やりたい事がある人は、今もお元気で夢を叶えて活躍中」と話されていました。
恩人のTさんは、そんなに悪い状態ではなかったかも知れませんが、「叙勲」そして年末の「講演」という「希望、想い」を持って頑張ってこられた事・・を思いました。
生きる目的がはっきりしていると、余命宣告されても、生きていらっしゃる方が多いそうです。
米子に行って良かったです。
きっとAさんは、杉浦さんとのご縁を、私に繋いでくれたのだと思います。
亡き母が「順子、たやすい事と、難しい事があったら、難しい事を選びなさいね」と話していた事を思い出しました。
みなさん、今日も笑顔溢れる、楽しい一日でありますように!
村山順子
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