おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。
先日、特定非営利活動法人「いのちをバトンタッチする会」代表の鈴木中人先生からメールを頂きました。
鈴木先生とのご縁は、「虹天塾(こうてんじゅく)近江」の北村遥明先生(高校教諭・実践人の家理事)のご紹介で頂きました。
この度、オンライン・いのちびと人間塾(10期)「いのちへの思いを語らい 心の根っこを育もう!」で、
9月23日、私もズームでお話の機会を頂いております。
鈴木先生のメールから、少し転載させて頂きます(ご許可を頂いています)。
「寄り添うこと」(いのちびと2019年3月号より)
小児がんの闘病をして、長女景子はターミナルを迎えました。
「痛いよ。えらいよ。こわいよ・・」救いを求めるように私を見つめて、
大きな涙を流しました。もう私にできることは何もありません。
「お父さんいるよ、お母さんいるよ」
私は手を握って声をかけました。
「うん」と、景子は少し安心したように頷きました。
それは寄り添うことだったと思います。
寄り添うの意味について辞書などに次のように綴られていました。
「寄り添う」とはそばに寄ること。
具体的な意味だけでなく、精神的な意味で使用されることが多い言葉である。
人の思いは目に見えるものではない。
・・中略・・
何も言わなくても相手の心を無償で支えようとする気持ちが寄り添うものである。
四千人を看取ったホスピス医の末永和之先生の言葉が思い出されました。
「患者さんを看取るとき、その人のそばでただ「こだま」するだけです。
患者さんが『怖い』と言えば、『怖いですね』。
『〇〇がほしい』と言えば『〇〇がほしいね』。
それだけで心が安らかになります」
大切な人が涙するとき、言葉はいりません。
横に座って、手を握って、あげてください。
あなたも忘れないでください。
あなたに寄り添ってくれる人がいてくれることを。
「寄り添う」って、言葉はいらないのですね。
・・鈴木先生の、景子ちゃんとのお別れの様子に、涙が溢れてなりませんでした。
みなさん、「大切な方々と、いついつまでも一緒に暮らしたい!」とは、誰もが願う事です。
ですが、早いか遅いかの差はあっても、生まれてきた時から、いつかは終わりの時が来る事は、皆同じです。
夫は27年前、広島の病院で突然亡くなり、私は寄り添うことができませんでした。
その経験から、私が主宰する“手紙のセミナー”では、次のようにお伝えしています。
「お子さん、お孫さんを叱った時も、寝る前にはギュッと抱きしめて、『大好きだよ』と、伝えてあげて下さいね!
また、夫婦喧嘩をした時も、寝る前には必ず、仲直りしてお休み下さいますよう!
明日も元気で迎えられる保証は、誰にもありません。
面と向かっては言いにくいようでしたら、手紙やLINE等で伝えることで、心軽やかに休むことができます」と。
『今日一日が一生』のつもりで、感謝して、明るく笑顔で生きていきたいと思う今朝です。
みなさん、今日も笑顔溢れる楽しい一日でありますように!
村山順子
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