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執筆者の写真村山順子

2024年5月1日 清廉な義父の生き方!



おはようございます!

風薫る5月!新緑の美しい季節です。

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。


昨日に続き、義父のことを書かせて頂きますこと、お許しくださいね。


義父は全力で私たち夫婦、孫を可愛がってくれました。

特に初孫の長男は特別だったらしく、小学生の頃、当時では珍しかったコンピューターが欲しい!と言うとお願いを聞いてくれたり、また高価なエレキギターも・・・目に入れても痛くないような可愛がり方。

孫に甘い義父でした。


そんな義父ですが、神戸の新開地(当時は荒れた地域でした)で、街の「髭のお巡りさん」として、頼りにされる存在でした。

叙勲に推薦され、義母と2人で皇居に伺ったこともあったそうです。


29日、敬老会で、田舎の先人たちが建てた会館に伺いました。

壁には田舎の会の歴代会長や役員の名前が掲げられていて、亡き義父も、会長、理事長に名を連ねていました。


今でも思い出す、50年近く前の出来事があります。

当時私たち一家は北九州から神戸に戻り、義父が私たちの為に押部谷町木津に家を建ててくれている間、両親の家に同居していました。


兵庫県警を退職後、会長を何年もさせて頂いていた義父が、ある日浮かぬ顔をして会合から帰宅。

私にこんな話をします。

「役員会で、会のお金でお酒を飲んだり食事をするのはやめよう!と言うと、奉仕で活動しているのに、それぐらいは良いじゃないか!との意見が殆どで・・」と。

長年の慣習になっていて、義父のように言う会長は今までいなかったのだと思います。


私は義父に「色々な考えの方がいらっしゃるから、難しいですね!だけど私は、お義父さんの考えに大賛成よ!お義父さんらしいわ~」と伝えました。

すると義父は満面の笑顔で「順子ちゃんがそう言ってくれるなら、分かってくれるなら、それで良いわ~」と。

その時の義父の安堵した顔を、今も思い出します。 

清廉な義父でした。


会館で義父の名前を見つけ、「いろいろな葛藤があった中、お義父さん、よく頑張られましたね」と、改めて敬慕の念が湧き上がってきました。


無条件で私たちを可愛がってくれた、亡き義父母のことを思い出す昨日でした。


みなさん、今日も心晴れやかな一日でありますように!



村山順子



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