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執筆者の写真村山順子

優しい妹たち!ありがとうね!

更新日:2020年8月13日

おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えの事と存じます。


みなさんはご兄弟いらっしゃいますか?

私は5人姉妹弟の長女です。


世間的には、長女は下の兄弟の面倒をみたり、辛抱するもの・・と聞きます。

ところが、鹿児島県沖永良部島の私の育った地域では、長女は「うない神」(家の中の神様)と言って、特に大事にされていました。


私は、実家の1番隆盛期に幼い頃を過ごし、多くの方々の愛情を受けて育ちました。

医者をしていた祖父が亡くなり何年も経つと、だんだん経済的にゆとりが無くなりました。

そんな時期に「教育には時がある」と言って母は、13歳の私を勉強の為、

神戸の叔母宅に送り出してくれました。


その何年か後に母が、リューマチで鹿児島市で入院。我が家では先生方が下宿していました。

すぐ下の妹は中学生。家の事ばかりではなく下宿していた先生方のお弁当を作ったり、

それは大変な生活だったそうです。母は妹に、大変な事を「姉ちゃんに言ってはいけない」と口止め。

妹はそれを守り通し、私はそんな妹たちの大変さを知らないでいました。

そして大人になってから詳しく知りました。

妹は私に、「姉ちゃんだけ楽して・・」などとの恨みがましい事は

一切言いませんでした。

“巡り合わせだから、仕方がない事だったからと。“

妹たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


妹たちの支えてくれたお陰様で、私は神戸で学び小学校に勤務し、やがて結婚!

今につながっています。

家は先生方の下宿から民宿、そして小さなホテルへと拡大しました。

3人の妹たちは高校を卒業し、進学するまでホテルの仕事を手伝っていました。

そして離れで寝たきりになっていた祖母の世話は、1番下の妹が一緒に住んで

お世話をしていました。


家の事を担っていた妹は、養護教師として55歳まで勤務。

厳しい義母のお世話の為に早期退職。自宅で精一杯お世話をし、98歳で見送りました。

その後、好きだった洋裁を二ヶ所の先生について勉強し、私の服もよく縫ってくれます。

妹たちや、叔母たちにもよく縫ってくれています。

我が妹ながらすごいなぁ~と思います。ご近所付き合いも見事!

例えば農家の方からトマトを沢山頂くと、トマトケチャップやジャムにして、

トマトを下さった方や、ご近所の方々にお福分け(お裾分け)。

洋裁する妹に、「もう着ないから」と紬の着物が知人から届くと、

彼女はそれで帽子やベストを作り差し上げています。

周りの方々との優しい関係が繋がっています。


昨日、私は妹が最近縫ってくれたピンクのブラウスを着ていました。

出会う人たちに「丁寧な縫い方、レースの柄あわせも見事!上手だね」と

褒めてもらいました。

嬉しくて、すぐ妹にライン!妹からは「嬉しい!よかった!」とのラインが。

講演に行く機会が多い私に、よく服を作ってくれます。

嬉しい私は、すぐに着て出かけ写真を撮って妹に送ります。

下の2人も優しい妹たちです。

またの機会に書かせて頂きますね。


弟嫁とも仲良しです。

こんな姉妹弟に育ててくれた両親に感謝しかありません。


長くなりました。


神戸は朝から雨が降っています。

どうぞ今日も笑顔の1日でありますように!



村山順子

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