おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えの事と存じます。
みなさんはご兄弟いらっしゃいますか?
私は5人姉妹弟の長女です。
世間的には、長女は下の兄弟の面倒をみたり、辛抱するもの・・と聞きます。
ところが、鹿児島県沖永良部島の私の育った地域では、長女は「うない神」(家の中の神様)と言って、特に大事にされていました。
私は、実家の1番隆盛期に幼い頃を過ごし、多くの方々の愛情を受けて育ちました。
医者をしていた祖父が亡くなり何年も経つと、だんだん経済的にゆとりが無くなりました。
そんな時期に「教育には時がある」と言って母は、13歳の私を勉強の為、
神戸の叔母宅に送り出してくれました。
その何年か後に母が、リューマチで鹿児島市で入院。我が家では先生方が下宿していました。
すぐ下の妹は中学生。家の事ばかりではなく下宿していた先生方のお弁当を作ったり、
それは大変な生活だったそうです。母は妹に、大変な事を「姉ちゃんに言ってはいけない」と口止め。
妹はそれを守り通し、私はそんな妹たちの大変さを知らないでいました。
そして大人になってから詳しく知りました。
妹は私に、「姉ちゃんだけ楽して・・」などとの恨みがましい事は
一切言いませんでした。
“巡り合わせだから、仕方がない事だったからと。“
妹たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
妹たちの支えてくれたお陰様で、私は神戸で学び小学校に勤務し、やがて結婚!
今につながっています。
家は先生方の下宿から民宿、そして小さなホテルへと拡大しました。
3人の妹たちは高校を卒業し、進学するまでホテルの仕事を手伝っていました。
そして離れで寝たきりになっていた祖母の世話は、1番下の妹が一緒に住んで
お世話をしていました。
家の事を担っていた妹は、養護教師として55歳まで勤務。
厳しい義母のお世話の為に早期退職。自宅で精一杯お世話をし、98歳で見送りました。
その後、好きだった洋裁を二ヶ所の先生について勉強し、私の服もよく縫ってくれます。
妹たちや、叔母たちにもよく縫ってくれています。
我が妹ながらすごいなぁ~と思います。ご近所付き合いも見事!
例えば農家の方からトマトを沢山頂くと、トマトケチャップやジャムにして、
トマトを下さった方や、ご近所の方々にお福分け(お裾分け)。
洋裁する妹に、「もう着ないから」と紬の着物が知人から届くと、
彼女はそれで帽子やベストを作り差し上げています。
周りの方々との優しい関係が繋がっています。
昨日、私は妹が最近縫ってくれたピンクのブラウスを着ていました。
出会う人たちに「丁寧な縫い方、レースの柄あわせも見事!上手だね」と
褒めてもらいました。
嬉しくて、すぐ妹にライン!妹からは「嬉しい!よかった!」とのラインが。
講演に行く機会が多い私に、よく服を作ってくれます。
嬉しい私は、すぐに着て出かけ写真を撮って妹に送ります。
下の2人も優しい妹たちです。
またの機会に書かせて頂きますね。
弟嫁とも仲良しです。
こんな姉妹弟に育ててくれた両親に感謝しかありません。
長くなりました。
神戸は朝から雨が降っています。
どうぞ今日も笑顔の1日でありますように!
村山順子
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