2018年2月20日 母に会いに行きます!


おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。

昨夜は、所属している経営者団体の役員研修会でした。

内容は「親の恩」・・親先祖を大切にする・・

親に対してスナオになるという研修でした。


その研修を受けながら故郷沖永良部島を離れ、弟の住んでいる

宮崎のケアハウスにお世話になっている母のことを思いました。

急に母に会いたくなり、日曜日、日帰りで宮崎に会いに行くことにしました。


あれだけ頑張り屋だった母が、だんだんと現実か過去かがわからなくなっています。

ですが、嬉しいことに私たちのことはまだ分かります。

わかっている間に、何度でも母に会いに行こうと思っています。


母は、私のお手本です。

何か厳しいこと、困難なことに出会うたびに

“母ならどうするだろうか?“ と母の頑張る姿を思い浮かべ、

”あの母の子だから、絶対乗り越えることができるはず!”と自分を励まし、

時に叱咤激励しながら乗り越えてきました。

強い母、頑張り屋の母でした。


少し母の事を書きますね。

18歳で私を生み、5人の子ども全員に、沖永良部島から内地留学をさせ

教育を受けさせてくれました。

私が小学1年生から田舎を離れる13歳まで、毎朝決まった時間に本の音読をさせ続けてくれました。

妹たちがどうしていたのかは記憶にありませんが、9歳違いの弟は、

毎日「詩」を書くことが日課だったそうです。


医者をしていた祖父が元気だった時は、家の事をするお手伝いさんが何人もいましたが、

交通事故で祖父が急死した後は、財産を売ったり、貸家を建てたり、先生方の

下宿を皮切りに民宿、ホテル経営へと規模を大きくしました。


母を突き動かしたのは、子どもたちに教育を身に付けさせてあげたいとの想いでした。

中でも4人の姉たちの後に生まれた弟は、生まれた時から「医者になる」という期待を

一身に背負うという環境の中で育ってきました。


10歳(小学5年生の春休み)の時に勉強のために、祖母に連れられて神戸に来ました。

(母は、毎日幼い弟を思い、泣き暮らしていたそうです)

祖母は、孫可愛さに神戸までついて来てくれました。家ではしたこともない料理をしてくれ、

教師をしていた私と弟の3人で暮らしていました。

そのあと祖母は体調を崩し帰郷。


その後は共に教師をしていた私と妹が親代わりをして、中学生になっていた弟と3人で暮らしていました。

弟は、高校時代は海洋学を学びたい!と話していましたが、医学部に進み

今は、医者になって良かった!と話しています。


母の一生は、子どもたちの教育に命を燃やし、働き詰めの人生だった気がします。

そんな母の働く後ろ姿は、子どもたち全員に伝わり「親に喜んで貰いたい!」という

思いは全員共通の願いです。

亡き妹のような細やかな心遣いはできそうもありませんが、

母の顔を見に、母に顔を見せに 宮崎に行きます。

つい親孝行の話を聞いて、母への想いが溢れてしまいました。


今日も笑顔溢れる素敵な1日でありますように!



村山順子

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