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2021年6月23日 「本土復帰活動」の記憶 (幼い日の記憶)


おはようございます!

今朝も笑顔満開、嬉しい朝を迎えています。


昨日は、メルマガ1500号について、

多くの方から嬉しいメールを頂きました。

心より感謝申し上げます。


「人は人に支えられて元気に生きていける」事を

改めて実感させて頂きました。

「まずは2000号を目指してください!」とのメールを

何名もの方から頂きました。

ありがとうございます!

まずは2000号目指します。


話は変わりますが、

今日6月23日は沖縄戦76年の

「慰霊の日」とのニュースが。

「慰霊の日」は、

沖縄戦犠牲者の霊を慰め、恒久平和を願う日で、

沖縄県では特別な日、休日になっています。


そして、瞬間に幼い日の記憶が!

私は、沖縄県に近い鹿児島県沖永良部島で生まれ、

13歳まで島で育ちました。

沖永良部島と与論島は昭和28年12月25日、

本土(日本)復帰まで、アメリカの統治下に置かれ、

お金もアメリカの通貨でした。


沖永良部島では、

全島民をあげて日本への復帰運動がわき起こり、

その中心に、高校生がいました。

高校生の作る復帰運動の芝居に、

当時6歳の私も子役で参加。(誘われた経緯は覚えていません)

トラックの荷台に乗って島内をかけ周り、

高校生に混じって劇中、歌を歌っていました。


70年近く経った今も、その光景は覚えています。

歌った歌は、西条八十の「カナリヤ」

童謡とも思えない、厳しい悲しい内容の歌詞。


『唄を忘れたカナリヤは 後ろの山に捨てましょうか 

いえいえ それはなりません・・」


そして1953年12月25日、本土(日本)復帰が決まり、

提灯行列の記憶が・・・

そんな事を思い出す今朝でした。


人間の記憶って不思議ですね。

毎年、沖縄「慰霊の日」のニュースは聞いていましたのに。

今朝は、そのニュースに突然、幼い日の記憶が結びつき・・


そして思います。

個人の意思ではなく、島全体、国全体が

厳しい状況下に置かれた時、どうするのだろうか?


翻って東京オリンピック!

大変な状況の中、開催が決定しました。

改善できる事は、今からでも改善してほしいと思います。

また、決まった以上は、最善、最大の注意を払いながら、

開催に向けて、個人でできる事を精一杯!


ただ懸念はたくさん・・

海外から来る選手団、関係者など、習慣が違う方々。

しっかり約束事を守ってくれるだろうか?

無事に安全なオリンピックができるだろうか?

心配は尽きません。


東京オリンピック開会式まであと1ヶ月。

願い、祈るばかりです。


杞憂に終わり、オリンピックが無事に

終了し、喜び合う光景をイメージします。


みなさん

素敵な1日をお過ごし下さいますよう!



村山順子

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