おはようございます!
今朝も笑顔満開、元気で朝を迎えられたこと、お互いに嬉しいですね!有難い事ですね。
ちょっとプチ自慢?お許しください。
金沢の娘の長女(中3)が、山梨県であったバドミントンの中学全国大会でダブルスで初めて3位になったとの事。
今までは16位が最高だったので大喜び。
完全燃焼して、これから受験勉強だそうです。
話は変わりますが、
昨日、メルマガに「伝説の教師 徳永康起先生」のことを、少し書かせて頂きました。
徳永先生は、授業時間だけではクラス45人の子どもたち一人一人の心をしっかり見ることができないので、全員に毎日、日記を書いて出してもらっていました。
朝、登校後提出。
徳永先生はそれを読んで、一人一人の日記に赤ペンを入れます。
帰りに渡し、また明日、日記を出してもらう・・・事を続けていらっしゃいました。
その日記から、助けを求めている子や、寂しい思いをしている子の思いをしっかり掬い上げ、受け止めて、手を差し伸べていらっしゃいました。
私事で恐縮かつ、同じ日に書くのも憚られますが。
遥か昔・・50年前、尼崎市の小学校で5年生、6年生を2回続けて4年間、担任した事があります。
特に2回目の5年6年と持ち上がりのクラスは、子どもたちも保護者も最高でした。
学年の先輩の先生方も、校長、教頭先生もすばらしく、一番若い未熟な私を大きく包んでくださり、子どもたちのために!と思う事を殆ど聞き入れてくださり、させていただきました。
今思い出しても胸が熱くなる、子どもたちとの密度の濃い関わり・・私の青春時代の宝ものです。
実は、私も45人の子どもたちに、毎日日記を書いてもらっていました。
私の机には、いつもうずたかくノートが積まれていました。
給料日前にはお金が足りなくて、楽しみにしていたのに、その給料日も忘れ、マイクでよく呼び出されていました。
「弘野(旧姓)先生、今日は嬉しい給料日、すぐ事務室へ」と。
なんとものどかな時代でした。
たしかに、毎日の日記には、家での暮らしのこと、家族のこと、両親、祖父母、兄弟の事など、子どもの目で見、考えている事をそのまま書いてくれるので、家庭の状況や、困りごともわかります(今なら大変なことです)。
赤ペンで書いたり、丸を入れて返し、また明日。
そして、6年3組のクラス通信を、毎日発行していました。
クラスのニュースや、授業の事、誰が今日発表できた!とか、今取り組んでいる事など。
よくも毎日、話題があり、発行できたなぁ~と思います。
当時はロウの塗ってある原紙に、鉄筆で書いてロウを削り取り、それを謄写版に貼り付けて、紙の上に下ろしてローラーで擦る。
そのプリントを、毎日持って帰ってもらっていました。
当時は気付かなかったのですが、先輩教師の方々に、どんなにか嫌な思いをさせてしまっていたことか・・・と、随分後になって気付き、申し訳なく思う私でした。
独身の私が、自由になる時間を全て子どもたちのために!使い、いろいろな企画を立て、実行。
家庭を持っている先生方は、したくてもできない状況。
周りへの気遣いをすることに気付かず、ただクラスの子どもたちのために、私にできることは何?を考えチャレンジ!
先輩先生方は、嫌なことを一切言わず、むしろ応援して下さいました。
懐の深い先生方でした。
保護者や先生方に、子どもたちに、育ててもらった私でした。
無我夢中で過ごした、楽しい青春時代でした。
そして、若いながらに覚悟していた事がありました。
「今日辞めても良いような覚悟を持って、今日を精一杯!」
「子どもたちのためになるなら、経験させる!全ての責任を私がとる。保身はしない」
なんとも勇ましい事ですが、そんな熱い思いのまま、教師生活を無事に終えました。
もし教師を続けていたら、多分、私は独身。
当時は、まだ珍しかった女性校長の先駆けになっていた事でしょう!(笑)
あっ!話がそれてしまいました。
みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さいますよう!
村山順子
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