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執筆者の写真村山順子

2021年8月26日 遥か昔のことですが!


おはようございます!

今朝も笑顔満開、元気で朝を迎えられたこと、お互いに嬉しいですね!有難い事ですね。


ちょっとプチ自慢?お許しください。

金沢の娘の長女(中3)が、山梨県であったバドミントンの中学全国大会でダブルスで初めて3位になったとの事。

今までは16位が最高だったので大喜び。

完全燃焼して、これから受験勉強だそうです。


話は変わりますが、

昨日、メルマガに「伝説の教師 徳永康起先生」のことを、少し書かせて頂きました。

徳永先生は、授業時間だけではクラス45人の子どもたち一人一人の心をしっかり見ることができないので、全員に毎日、日記を書いて出してもらっていました。

朝、登校後提出。

徳永先生はそれを読んで、一人一人の日記に赤ペンを入れます。

帰りに渡し、また明日、日記を出してもらう・・・事を続けていらっしゃいました。

その日記から、助けを求めている子や、寂しい思いをしている子の思いをしっかり掬い上げ、受け止めて、手を差し伸べていらっしゃいました。


私事で恐縮かつ、同じ日に書くのも憚られますが。

遥か昔・・50年前、尼崎市の小学校で5年生、6年生を2回続けて4年間、担任した事があります。

特に2回目の5年6年と持ち上がりのクラスは、子どもたちも保護者も最高でした。

学年の先輩の先生方も、校長、教頭先生もすばらしく、一番若い未熟な私を大きく包んでくださり、子どもたちのために!と思う事を殆ど聞き入れてくださり、させていただきました。

今思い出しても胸が熱くなる、子どもたちとの密度の濃い関わり・・私の青春時代の宝ものです。


実は、私も45人の子どもたちに、毎日日記を書いてもらっていました。

私の机には、いつもうずたかくノートが積まれていました。

給料日前にはお金が足りなくて、楽しみにしていたのに、その給料日も忘れ、マイクでよく呼び出されていました。

「弘野(旧姓)先生、今日は嬉しい給料日、すぐ事務室へ」と。

なんとものどかな時代でした。


たしかに、毎日の日記には、家での暮らしのこと、家族のこと、両親、祖父母、兄弟の事など、子どもの目で見、考えている事をそのまま書いてくれるので、家庭の状況や、困りごともわかります(今なら大変なことです)。

赤ペンで書いたり、丸を入れて返し、また明日。

そして、6年3組のクラス通信を、毎日発行していました。

クラスのニュースや、授業の事、誰が今日発表できた!とか、今取り組んでいる事など。

よくも毎日、話題があり、発行できたなぁ~と思います。

当時はロウの塗ってある原紙に、鉄筆で書いてロウを削り取り、それを謄写版に貼り付けて、紙の上に下ろしてローラーで擦る。

そのプリントを、毎日持って帰ってもらっていました。


当時は気付かなかったのですが、先輩教師の方々に、どんなにか嫌な思いをさせてしまっていたことか・・・と、随分後になって気付き、申し訳なく思う私でした。

独身の私が、自由になる時間を全て子どもたちのために!使い、いろいろな企画を立て、実行。

家庭を持っている先生方は、したくてもできない状況。

周りへの気遣いをすることに気付かず、ただクラスの子どもたちのために、私にできることは何?を考えチャレンジ! 先輩先生方は、嫌なことを一切言わず、むしろ応援して下さいました。 懐の深い先生方でした。 保護者や先生方に、子どもたちに、育ててもらった私でした。 無我夢中で過ごした、楽しい青春時代でした。 そして、若いながらに覚悟していた事がありました。 「今日辞めても良いような覚悟を持って、今日を精一杯!」 「子どもたちのためになるなら、経験させる!全ての責任を私がとる。保身はしない」 なんとも勇ましい事ですが、そんな熱い思いのまま、教師生活を無事に終えました。 もし教師を続けていたら、多分、私は独身。 当時は、まだ珍しかった女性校長の先駆けになっていた事でしょう!(笑) あっ!話がそれてしまいました。 みなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さいますよう!

村山順子

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