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2024年1月19日 52年前の保護者からの手紙!




おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。


昨日、書棚の整理をしていて、真っ赤なカバーのノートを見つけました。直ぐに分りました。

表紙を開けたところに

「弘野(旧姓)順子先生に 西小6年3組一同 昭和47年3月」と。


52年前、尼崎市の小学校に勤務していた私。 

6年生を卒業させた後、退職。

直ぐに結婚する私に宛てて、保護者の方一人一人が手紙を書いて一冊のアルバムにしたこのノートを贈って下さったのです。

5、6年持ち上がりでしたので、その間の学校行事から大阪万博に行った事、当時の新聞、記念切手等々、時代が分かる内容のものも収められていました。

一瞬で当時を思い出し、懐かしさで胸がいっぱいになりました。

宝物の5年間の教師生活でした!


若い私を信頼し、応援し、育ててくださった保護者の方々でした。

丁寧な文字で、餞別の意味もあるかと思いますが、身に余るような嬉しい言葉をぎっしり書いて下さっていました。

「教師冥利」ってこんな事を言うのでしょうか。

お手紙から、少し書かせて頂きます。

手前味噌かと思いますが、52年前の事ですので、お許し下さいね。


「・・時々弘野先生にずっと担任してもらえたら、美代子の事だけは本当に安心しておれるのだがなぁなどと、夫婦で話した事がありました。

それは先生の教育姿勢の中には、いつも優しさと真ごごろのこもった愛情が感じられるからです。

学習などに対する丹念な指導などはもとより、学期終わりの休みの前に、全生徒に心のこもった手紙を書くとか、毎日の日記に対して感想を書き入れるなどは、大勢の子供を受け持つ立場の先生には、普通の人ではとてもできるものではないと思います。

教育という職業に忠実であるだけではなく、深い愛情が根底になっていると、夫婦で話していました。

・・5、6年という大切な時期に優しい愛情を根にした弘野先生の教育を受けられた美代子は本当に幸運な子だったと思っております。

会社では、他に自慢できるものはありませんが、美代子の先生についてだけは、よく自慢していました。

・・いつまでも先生として、1人でも多くの人に、本当の人間のあり方を教えてやってほしい!と思っています。・・」


このノートをまとめて下さったNさんは、私が手紙のセミナーを開いている事を耳にされ、2009年頃「手伝わせてほしい!」と駆けつけて下さり、それから私に思いがけない事を勧めて下さいました。

そのことが、想像だにしなかったご縁を次から次へと繋げて下さる事になりました。

またの機会に、Nさんのこと書かせて頂きますね。

長くなってしまいました。お許し下さいね。


脚に不安があり自由に外に行けなくて、少し落ち込んでいました。

でも、昔のお母さん方からの手紙に、心に火がつきました!

「今の私にできる事を精一杯させて頂こう!」と力を頂いた、昔のノートでした。


みなさん、今週もお読み下さりありがとうございました。

素敵な週末をお過ごし下さいますよう!



村山順子


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