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2025年6月17日 3人の幼子を連れての電車通勤!



おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。


いつもより長くなりますが、一度は書いてみよう!と思っていた事です。

お手隙の折にお読みいただけたらと思います。


昨日のメルマガと少し似ていますが、

77年間生きてきて、子どもたちも私も、一番頑張った時の事を思い出しました。

それは、45年前の夏から冬にかけての半年間の事です。

尼崎市で教師をしていた叔父が、推されて市会議員になり、一年半が過ぎた頃、胃癌で入院。

叔母は子どもを授からず、近くにいる身内は私だけでした。

当時、叔父の勧めで叔母は、尼崎市の潮江?付近で、小規模の託児所を始めたばかりの頃でした。

叔母は叔父の付き添いで病院に。

叔母から「順子、子供達のお昼ご飯とおやつを頼めないかな・・」と。

お世話になった叔父と叔母。

私が結婚できたのも、叔父の勧めでした。

夫に話すと、「順さん、できれば手助けして欲しいけれど、頑張れるかなぁ?」と。

私は「やってみるね!」と。


当時、長男は5歳、次男は2歳、三男は7ヶ月。夏の暑い時期でした。

8時過ぎに三男をおんぶし、次男をバギー(乳母車)に乗せ、長男は歩いて、駅へ。

自宅から懸命に15分ほど歩いてJR灘駅に。

通勤電車に乗って通いました。

ラッシュで、小さな子どもたちも懸命にバギーに掴まったりしながら。

背中の三男も泣かずにいてくれました。

電車から降りると、すぐに市場に向かい、2〜3歳から5歳くらいまでの20名近くのお昼ご飯の買い物、手づくりおやつの用意を買いこんで、急ぎ託児所に。

どうやって多くの荷物を持ったのか、はっきりとは思い出せません。


到着すると、背中の三男をベッドに下ろし、すぐに買い物の整理、そしてお昼の支度。

何をどう作ったのかもはっきりとは覚えていませんが、幼な子20名近く、先生2名、私の分のお昼ご飯。

何種類も作ったことは覚えています。

そしてお昼の用意が終わると、おやつの準備。

若くて、手際がよかったのだと思います。

お昼ご飯が終わると片付け。

おやつは作って用意だけして、後は先生にお願いしました。


帰りは、灘駅から坂道を20分ぐらい上って自宅着。

誰もぐずる事なく、助かりました。

親が必死に頑張っている事が伝わるのでしょうか。

週に一度か二度は、叔父の病院に寄って、叔母にも会いに行きました。

そんな事を半年間、続けました。

その間、お陰様で子どもたちは、誰一人病気をせずにいてくれ、休む事なく続ける事ができました。


その年末、叔父が亡くなり、託児所は閉園しました。

細部までは覚えていませんが、よく頑張れたなぁ〜と。

結婚してから一番頑張った時期でした。

一緒に行ってくれた子どもたちに、元気に通勤できた自分に感謝です。

昨日長男に「託児所に行っていた事、覚えている?」と聞くと、「うん、嫌だったよ!意地悪な子がいて、友達もいないしね」と。初めて聞く、長男の心のうちでした。

私しか叔母の力になれる人はいない!という使命感に支えられて最後まで頑張る事ができましたが、今改めて子どもたちに「ありがとう!」って伝えたいです。


みなさん、今日も笑顔溢れる一日でありますように!



村山順子



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