2026年2月12日 ふと思い出す、祖母のこと
- 村山順子

- 11 時間前
- 読了時間: 3分

おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。
ふと、亡き祖母の事を思い出しました。
祖母も母も、国会討論会が大好きでした。
NHKラジオで初めて放送されたのが1947年9月。
よく聴いていた祖母の姿を思い出します。
亡き母も、宮崎のケアハウスに入所中もTVで国会討論会を熱心に見ていました。
目が見えにくくなってからはラジオで。
祖母には聞き忘れましたが、母に「どうして国会討論会を聴いているの?」と聞いたことがあります。
「見たいTVなんかないよ。この方がずっと面白いから」と話していた事を思い出します。
熊本生まれの祖母。
祖父が熊本医専(熊本大学医学部)在学中に出会い、卒業と同時に結婚。
祖母は熊本藩の寺社奉行の流れを汲む家の娘・・親の反対の中、駆け落ち状態で、祖父の実家のある沖永良部島へ。
ところが、祖父には既に両親の決めた許嫁がいたとの事。
当初から祖母は針の筵状態での結婚生活でした。
東京に居るもうすぐ100歳になる叔母は、何度となく私にこんな話をしてくれました。
「沖で“船が入港したよ〜”との合図の汽笛が鳴ると、涼子(叔母の妹)と2人、お母さん(祖母)が熊本に帰らないように、門の前で両手を広げて通せんぼしてしたよ」と。
船が来るたびにドキドキしていたと、遠くを見るような目で話します。
祖母の辛さ、「母親を熊本に返すまい!」との幼い叔母たちの必死の気持ち、様子が伝わります。
実際に、一度、祖母の弟が熊本から迎えに来たそうです。
ですが、祖母は熊本に帰りませんでした。
祖母は、キセルでタバコを吸っていました。
今思うと、誰一人血縁のいない、言葉も通じない(当時は殆どが方言を使っていたそうです)沖永良部島での暮らし。
閉鎖的な島で、それも歓迎されない嫁・・だった祖母。
タバコを吸わずには居られなかったのだと思います。
そんな祖母を思うと「よく沖永良部島で頑張ってくれたなぁ〜」と、胸がいっぱいになります。
私たち5人の孫が生まれ、それはそれは可愛がってくれました。
軍医をしていた自慢の長男(父の兄)がペリリュー島で戦死。辛い日々だったそうです。
伯父が亡くなり、祖父も交通事故で亡くなりました。
祖母は、伯父の遺族年金(割合高額だったようです)が入ると、私たち孫に色々買ってくれました。
当時の沖永良部島では、誰も知らない儀式・・「十三参り」の為の和服一式を4人の女孫たちに誂えてくれ、お参りに行かせてくれました。
祖母の満足気な顔を思い出します。
特に初孫の私は、祖父母の愛情をたくさん受け育ててもらいました。
実家にいた頃は、そのような事情(祖母の結婚のいきさつ等々)を知らなかった私。
祖母の気持ちを思う事もなく、過ごしていました。
ですが、祖母に教えてもらったことはよく思い出します。
「素直・謙虚・感謝」を教えてくれたのは祖母。
「順子、名前を呼ばれたら“はい”と言うと同時に、お尻を上げなくてはならないよ」等々・・祖母に教えてもらった事、たくさんありますが、身についてない事もあります。
「ばぁちゃんが沖永良部島で頑張ってくれたから私たちが居るのですね。
そして心の足りない孫でごめんなさいね。
いつか会う時には、ばぁちゃんいっぱい話聴かせてね!」
長くなりますので、またの機会に書かせて頂きますね。
みなさん、今日も笑顔溢れる楽しい一日をお過ごしくださいますよう!
村山順子
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