2026年2月4日 我が妹ながら・・すごいなぁ〜
- 村山順子

- 1 日前
- 読了時間: 4分

おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。
今日は立春!暦の上では春ですね!
昨夜、豆まきされましたでしょうか?
最近は豆を拾うのが大変で落花生を撒いていましたが、昨日は炒り大豆・・しかなくて。
サランラップに豆を適当に包んで、大声で大人一人での豆まきをしました。
とても拾いやすく、これもありか!と。
今朝は思い出話になり、長くなります。
お手隙の折にお読みいただけたらありがたいです。
時に思う事があります。
同じ両親から生まれてきた姉妹弟。
ですが、性格も違い、またその時の家の環境等で、随分違ってきます。
2歳下の妹。今は三田市のウッディタウンに夫婦で住んでいます。
養護教諭として尼崎市の学校に勤務していた時、自宅が開発で立ち退きに。
その時ちょうどウッディタウンが開発され、売り出しと共に三田市に引っ越し。
広い敷地に、殆どが住友林業の立派な家々。
妹宅も、広い庭に柚子、梅、季節の花々が咲き乱れています。
街開きから40年近く。高齢化が進み、周りはお年寄りばかりとの事。
妹は76歳。食事、運動に気をつけ、おかげさまで元気です。
ご近所の方々は、80代以上ご夫妻の方々。
病院に行こうとタクシーを頼んでも、すぐトイレに行きたくなり、待ってもらうのが二度三度と・・
気を遣うご近所の方々を見て、妹が病院に送迎するようになったそうです。
また、早朝人目に付かない時に、落ち葉を集めゴミ集積所へ。そして片付け。
自分が片付けているのを人に見られるのが恥ずかしい!との事で、そっと!と。
無意識に、陰徳を積んでいる妹です。
妹は、中学生時代から家(民宿・ホテル)の手伝いをし、高校生になっても部活動にも入らず(入れず)帰宅。
母は、よく気が付き、手際よく働く妹を頼りにしていたそうです。
友だちと遊んだ記憶がなく、交流が無かったので、同窓会には行きたくない・・と。
辛い田舎での生活だったようです。
(私は、医者をしていた祖父の遺徳が充分に残っている時に小中学生だったので、ある種一目置かれる状態の中で育ち恵まれていました)
祖母はそんな妹に、少しずつ小遣いをあげていたそうで、妹はそのお金を貯めて、岡山の短大に行く時に持って行ったそうです。
詳しい事情は分かりませんが、岡山での下宿代も、その家の用事をする事を提案し、無料にしてもらっていたそうです(その家のお婆さんも、助かる!と喜んでくれていたそうです。18歳の妹の交渉術、またいかに妹の気遣いのできる働きが気に入ってもらえていたかと・・)。
沖永良部島から外に出るのは初めてでしたが、よく気が付き、仕事が丁寧で早い妹は、生きる力、どうしたら喜んで頂けるかを、母の手伝いをしながら身に付けていたのだと思います。
長女の私は甘えっ子で、島を出る日(13歳)まで、母と一緒に寝ていました。
亡くなった真ん中の妹は、友だちが多く夜も遊びまわり帰ってこないので、探しに行っていたとの事。
一番下の妹は、認知症になった祖母と一緒に離れで暮らし、お世話をしてくれていたそうです・・そして東京の看護師学校へ。
同じ両親から生まれても、その時々の家の状態、環境で随分変わっています。
私は、家の状況が一番良い時に生まれ育ちました。
本来なら長女の私が担わなければならない事を、すぐ下の三田の妹が代わりに引き受けてくれていました。
そして妹は、義母のお世話のために55歳で早期退職(義母は99歳で見送りました)。
お世話をしながら、かねてから学びたかった洋裁を先生2人について、今も学んでいます。
洋裁の作品は身内の物だけ。
常にメジャーを持ち歩き、サイズを測ってくれ、作って送ってくれます。
姉妹、叔母、従兄弟、亡き妹の友人にも。
我が妹ながら、見事な生き方!と、尊敬します。
三田の妹は、一番母と似ていると思います。
そして思います。
環境は違っても、仲が良く、「ありがとう!」と素直に言い合える事。
そんな私たちに生み育ててくれた両親に!
また、足りない長女の私を、姉として立ててくれる妹弟達に、感謝の気持ちでいっぱいです。
妹の事を思い出すまま書いていたら、長くなってしまい申し訳ございません。
みなさん、今日も笑顔溢れる楽しい一日でありますように!
村山順子
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