2025年11月26日 昨日は、亡き母の96歳の誕生日! ①
- 村山順子

- 11 時間前
- 読了時間: 2分

おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。
今、紅葉が綺麗ですね。
昨日、モーニングセミナーの帰り道、車で生田川沿いの坂道を走ると、桜並木が真っ赤に紅葉していました。
新神戸駅の北側の山も紅葉。
居ながらにして紅葉を楽しめる街です。
話は変わりますが、ご両親様はご健在でいらっしゃいますか?
私は3年前に母を見送りました。
昨日11月25日は、亡き母の96歳の誕生日でした。
内科的に悪いところはなく、老衰で枯れるように・・と、主治医である弟が話していました。
かねてより、痛みがあれば抑え、延命措置はしない・・というように子どもたち4人で話し合っていました。
最期の夜、弟は一晩中、母に寄り添って過ごしたそうです。
母の最愛の一人息子の弟・・女の子4人の後にやっと授かった男の子でした。
医者の家系を復活できる!その喜びと使命感で母が生み育てた弟でした。
医者をしていた祖父が生きていた頃は、看護婦(師)さん、お手伝いさん、子守りさんなど大勢で暮らしていました。
祖父が往診の帰り、車の脱輪事故で瀕死の状態で家に運ばれていく姿を、4歳の私は友達と見ていました。
祖父亡き後、たくさんあった財産を売ったり、また世間知らずの祖母や母は騙されたり等々。
それでも私が小学3年生ぐらいまではお手伝いさんや子守りさんが居て、海に行く時等も必ず一緒に。
やがて、みんな内地に行った親戚を頼りに島から出て行きました。
現金収入の少ない島で、祖母は広い屋敷に3つの貸し屋を建て、母は先生方の下宿を始めました。
その頃、13歳の私は、勉強の為、神戸の叔母宅で下宿を。
母は、沖永良部島で初めての民宿を始め、そしてホテルへと拡大。
脳梗塞で倒れる迄、続けていました。
いろいろな事に出合う度に「母ならどうするだろうか?」を思うと、直ぐに答えが出ます!
長くなりますので、明日続きを書かせて頂きます。
みなさん、今日も笑顔溢れる楽しい一日をお過ごしくださいますよう!
村山順子
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