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2025年12月2日 亡き父の事①「携帯電話があったら・・」


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おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。


耳が聴こえなかった亡き父の事・・今日から何回か続けて書かせて頂きます。

「朝から笑顔になれる事を短く」と始めたメルマガですが、いつかは、不器用だけど愛してくれた優しい父の事、書きたかったのです。

しっかり話す時間が取れなくて、寂しい思いをさせてしまった娘からの父への感謝とお詫びを・・。

パラアスリートたちが活躍されている姿が、TVで放映されていました。

笑顔でイキイキと!

ご本人はじめ、ご両親も、笑顔で話すまでには色々ご苦労があり、また今でも健常者では気づかない大変さ、生きづらさもあるかと思います。


今は、携帯電話で瞬時に世界の方々と繋がる事ができ、画像等も送れます。

25年前に亡くなった父・・耳が生まれつき聴こえなかったそうです。

もしか、父が生きていた時に、携帯電話が普及していたら・・

父の世界が、私たちとの繋がりが、時間が、どんなに楽しいものになっていたかを思います。


父は、経済的、社会的に恵まれた家に、4人兄弟の次男として生まれました。

祖父が医者。祖母は祖父の手伝いで看護師的な事をしていたようです。

4人の子どもの中で、父だけ耳が聴こえません。

祖父母、特に祖母はそんな父を特に可愛がり、小学校に行っても友達にいじめられないように、仲良くしてもらえるように・・と思ったからでしょうか、沖永良部島から鹿児島の山形屋(デパート)に行き、子どもたちの好きそうな文房具などを大量注文し、同級生たちに配ったりしていたそうです。

祖母の気持ち・・悲しい親心を思います。

周りは、みんな優しく接してくれたそうです。


父はとてもハンサム、おしゃれ好き。着る物、持つ物は一流品。写真もプロ級。絵も字も見事です。

釣りも大物を仕留め、実家には大きな魚拓がたくさん!

手先が器用で、鹿児島の聾学校で技術を身に付け、私が小学校に上がる頃は、助手の方と家具(主に箪笥)作りをしていました。

父は、一流の機械、気に入った材料で、丁寧に時間を掛けて作ります。

頼んだ方々は大喜び!何年経っても寸分の狂いもないと。

ですが、経済的な事を考えず、ただ良い物を、喜ばれる物を作る父・・作れば作るほど赤字に。

趣味の延長のような仕事の仕方のようでした。

私たち娘4人の結婚の時には、父手作りの箪笥が届きました。


長くなりますので、今日はここまでにさせて頂きます。

あと何日か、父の事を書かせて頂きます。

お付き合い頂けましたら、ありがたいです。


みなさん、今日も笑顔あふれる楽しい一日でありますように!



村山順子



【お知らせ】


神戸暮らしの学校事務局です。

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以前の動画です。このような感じでお伝えします。

「お悩み相談 自分が好きでない私」

どうぞよろしくお願いいたします。



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