2025年12月2日 亡き父の事①「携帯電話があったら・・」
- 村山順子

- 11 時間前
- 読了時間: 3分

おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。
耳が聴こえなかった亡き父の事・・今日から何回か続けて書かせて頂きます。
「朝から笑顔になれる事を短く」と始めたメルマガですが、いつかは、不器用だけど愛してくれた優しい父の事、書きたかったのです。
しっかり話す時間が取れなくて、寂しい思いをさせてしまった娘からの父への感謝とお詫びを・・。
パラアスリートたちが活躍されている姿が、TVで放映されていました。
笑顔でイキイキと!
ご本人はじめ、ご両親も、笑顔で話すまでには色々ご苦労があり、また今でも健常者では気づかない大変さ、生きづらさもあるかと思います。
今は、携帯電話で瞬時に世界の方々と繋がる事ができ、画像等も送れます。
25年前に亡くなった父・・耳が生まれつき聴こえなかったそうです。
もしか、父が生きていた時に、携帯電話が普及していたら・・
父の世界が、私たちとの繋がりが、時間が、どんなに楽しいものになっていたかを思います。
父は、経済的、社会的に恵まれた家に、4人兄弟の次男として生まれました。
祖父が医者。祖母は祖父の手伝いで看護師的な事をしていたようです。
4人の子どもの中で、父だけ耳が聴こえません。
祖父母、特に祖母はそんな父を特に可愛がり、小学校に行っても友達にいじめられないように、仲良くしてもらえるように・・と思ったからでしょうか、沖永良部島から鹿児島の山形屋(デパート)に行き、子どもたちの好きそうな文房具などを大量注文し、同級生たちに配ったりしていたそうです。
祖母の気持ち・・悲しい親心を思います。
周りは、みんな優しく接してくれたそうです。
父はとてもハンサム、おしゃれ好き。着る物、持つ物は一流品。写真もプロ級。絵も字も見事です。
釣りも大物を仕留め、実家には大きな魚拓がたくさん!
手先が器用で、鹿児島の聾学校で技術を身に付け、私が小学校に上がる頃は、助手の方と家具(主に箪笥)作りをしていました。
父は、一流の機械、気に入った材料で、丁寧に時間を掛けて作ります。
頼んだ方々は大喜び!何年経っても寸分の狂いもないと。
ですが、経済的な事を考えず、ただ良い物を、喜ばれる物を作る父・・作れば作るほど赤字に。
趣味の延長のような仕事の仕方のようでした。
私たち娘4人の結婚の時には、父手作りの箪笥が届きました。
長くなりますので、今日はここまでにさせて頂きます。
あと何日か、父の事を書かせて頂きます。
お付き合い頂けましたら、ありがたいです。
みなさん、今日も笑顔あふれる楽しい一日でありますように!
村山順子
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