2025年12月3日 亡き父の事②「誰の宿題?と思うような立派な標本」
- 村山順子

- 11 時間前
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おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。
昨日に続き、父の事、書かせて頂きます。
初めての子どもだった私は、父にとても可愛がってもらいました。
小学1年生から、何年生までだったかは定かではありませんが、毎朝学校に行く前、鉛筆を小刀で綺麗に削ってくれました。
父の削った鉛筆は綺麗で持ちやすく、書きやすく、折れる事がなく、嬉しかったのを覚えています。
妹たちもそうしてもらっていたと思っていましたが、どうやら私だけだったようです(一番先に生まれるって、得ですね笑)。
夏休みの宿題など、父は大張り切り!
植物採集、蝶の採集、貝殻集めなど、標本作りに父は懸命でした。
まるで自分の作品作りのように、見事なケース(外は木造り、ニスを塗り、ガラスをはめ)に蝶々を並べ、綺麗な字で名前を書いて仕上げていました。
それを小学3~6年生の夏休みの宿題で、私の作品として提出。
当時は小学校でも忖度があったようで、一目で小学生が作ったとは思えない作品が、特賞に選ばれていました。
私は作っていないので恥ずかしかったですが、父は大喜びでした。
父は器用で、絵も字も上手、写真もプロ級。
役場の行事も父が写真を撮り、飾っていました。
無料で丁寧にするので、重宝がられていたそうです。
母も、黙認というより、父が喜ぶ事だから・・皆さんも喜ぶ事だからと、喜んでいたようです。
この辺りまでの事は、私もよく覚えています。
この後の事は、私は勉強の為、神戸の叔母宅に下宿していましたので、 妹達や母に聞いた話です。
みなさんのご両親は、仲が良かったですか。
両親の仲が良いと、安心して暮らせますね。
私が田舎に居る時は、両親はごく普通で、喧嘩する所を見る事はありませんでした。
田舎は、親戚の集まりや法要などの集まりが多いです。
賑やかな事が好きな父は喜んで出かけていたそうですが、お酒が入ると、父が母に当たる事が多くなってきたようです。
「ツヤ子(母の名前)は親戚がいっぱい!僕は一人ぼっち」と嘆き、時には、広い部屋の隅に向かって椅子を投げたりして、荒れたそうです。
お酒が入ると、親戚や知人は父と筆談するのが面倒になり、父は疎外感を抱えながら帰宅したようです。
父の寂しさ、悲しさを思います。
私がそばに居たら、父の話を聴いて・・と思いましたが、無理だったでしょうか?
母は10人兄弟で、田舎に兄弟、親戚が大勢いました。
早くに神戸に出ていた私は、父が母に当たっている所を見た事がありません 。
その事を末の妹は「姉ちゃんは、悲しい両親の姿を見なくて、本当に良かったと思うよ!」と話してくれます。
複雑な気持ちですが、両親の修羅場を見ないで過ごせた事、ありがたいと思うと同時に、長女の私の知らない所で妹達が辛い思いをしていたのかと思うと・・申し訳ない気持ちになります。
三田市に居る妹に「本当は長女の私が背負わなければならない事をしてもらって申し訳なかったね、ごめんなさいね」と話すと、「順さん気にしないで良いよ!そんな巡り合わせだった、という事だからね」と、さらりと言ってくれます。
妹達に感謝の気持ちでいっぱいです。
今日は朝に相応しくない話を書いてしまいました。
明日は、ちょっと明るい話題!
私たち5人の子ども達が協力して、両親に早めの金婚式のプレゼントを!
1ヶ月余りのヨーロッパ旅行をプレゼントした事を書かせて頂きますね。
みなさん、今日も笑顔あふれる楽しい一日でありますように!
村山順子
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